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【ユニマガ vol.8】勝利至上主義はなぜ危険か

2018/12/6

ー勝利至上主義はなぜ危険かー
スポーツ界でよく議論されるようになりました。日大アメフト部問題を始め、勝利至上主義をめぐる問題がなかなか解決されていない現状は、大変遺憾に思います。そもそも勝利至上主義とは、「相手に勝つことを絶対的な目的とする考え方」を指します。勝利至上主義の下で横行する行き過ぎた指導や、体罰が絶対にあってはならないことだというのは当然のことです。では、体罰や行き過ぎた指導が存在しなければ、勝利至上主義は健全なメンタリティと言えるのでしょうか。今回は、体罰などから少し離れた文脈で、勝利至上主義について考えてみたいと思います。

今回のテーマとなる「勝利」
自分のスタイルを貫けばそれが「勝利」だという人もいれば、美しく勝たなければそれは「勝利」とは呼べないという人もいます。では、本当の勝利は何かという議論にもなりますが、それもそれで長くなりそうです。とりあえずここでは、「スコアが相手より上回った状態で試合を終えること」という狭義の勝利と定義して話を進めさせてください。ここからは、エナジードリンクに例えながら、「勝利の先に一体何があるのか」という問いを投げかけたいと思います。

「勝利至上主義の幸福モデル」は、ある種エナジードリンクのそれに似ていると思います。その関係性を2つの側面から説明します。即効性と中毒性/依存性です。

まずは、即効性。眠い時にエナジードリンクを飲むと、それまでの眠気が嘘だったように集中力を発揮することが出来ます。今の私がこの文章を書く集中力を維持できているのも、先ほど飲んだエナジードリンクのおかげです。でも、それはある意味体力を前借りしているようなものです。私は数時間後、猛烈な眠気に襲われることでしょう。「体力の前借りによる一時的な興奮状態」あくまで私見によるイメージですが、これがエナジードリンクにおける即効性のカラクリだと思っています。
これを「勝利」に置き換えて考えます。
「勝利」というゴール設定は、メンバーを1つの方向に向かわせるための熱狂を生みます。勝利に向かう時のチームの状態はきっとアグレッシブで、勝った後の喜びは何物にも代え難いです。団体競技であれば、チームのマネジメントもしやすくなるでしょう。なぜなら、多少の犠牲を払ってでも、未来に勝利という形でその犠牲が払い戻されるという幸福モデルは、とても分かりやすいからです。でもアスリートには、いつか引退がやってきます。そこで、「勝利」という評価軸がなくなります。引退を間近に控えて別のキャリアを歩もうとするアスリートが、「自分はなぜあれほど熱中していたのだろうか。あの日々に本当に意味はあったのか」という不安や恐怖に駆られてしまうのは、この勝利至上主義の弊害の1つでもあると思います。目の前の熱狂は、いつまでも続くものではありません。熱狂の先に、何があるのか、じっくり向き合う必要があるように思います。

次に、中毒性/依存性。エナジードリンクのカフェインは中毒性があると言われています。体力の前借りによって空いた穴を、またエナジードリンクによって埋めようとすると、いつかエナジードリンクがないと生活できない、いわば依存状態に陥ります。
これを「勝利」に置き換えて考えます。
勝つと嬉しいので、また勝利を目指します。負けると悔しいので、次こそはと、勝利への想いもきっと増すことでしょう。「勝つことが全てだ」「勝つことにこそ価値がある」そう自分に言い聞かせ、厳しいトレーニングに励みます。でも、たとえその目的に対する自分の行動に全く落ち度がなかったとしても、いつの日か上手くいかない時期が絶対にやってきます。なぜならスポーツの世界には常に相手が存在するからです。自分が100%のパフォーマンスを発揮しても、相手がそれ以上なら負けることもあるし、逆に自分が70%の調子だったとしても、相手がそれ以下なら勝つことだってあります。「勝利」という絶対的な価値から遠ざかってしまう時、どうすればいいのでしょうか。でも気がついたときにはもう、悩みや不安を解決してくれるのも、自分のモチベーションを守り続けるのも、「勝利」という結果だけ。そのようなメンタリティで純粋にスポーツを楽しめるはずがありません。加えて、相手よりスコアを上回るためであったら、自分たちは何をしても良いのかという話にもなります。勝利に異常に依存してしまう状態は、このようなリスクを抱えているように思います。

エナジードリンクは、あくまで一時的な対処療法に過ぎず、根本の眠気や集中力そのものを解決するものではありません。加えて、カフェインには致死量まで存在しています。同じように、「勝利」はモチベーションや分かりやすいゴール設定の指標になっても、大学スポーツ特有の「なぜ一生懸命頑張るのか」の問いの答えにはなりえないのです。勝利を目的に据え、その達成のために一定ラインを超えてまで「勝利」を目指し続けるのは、危険です。つまり、勝利はあくまで手段である、という結論に至ります。

勝った時の喜びや感動。
勝利に向かう時のチームの一体感。
勝敗がかかった時のスタジアムの緊張感。
スポーツは「勝敗」をかけた戦いであるがゆえに、多くの楽しみを生んできました。
勝利を目指すプロセスにこそ、様々な成長があるのも十分理解しているつもりです。
私も、どうせやるなら勝ちたいし、勝てば嬉しいです。
だからこそ、「勝利」に対して、真摯に向き合っていたいなと思います。
勝利に対して健全なスポーツ界であってほしいなと強く願っていますし、
そんな社会を実現させるのだという気概を持って活動しています。

みなさんは、勝利の先にあるものは何だと考えますか。

(文章 慶應義塾大学3年 奥山大)