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【ユニマガ vol.4】体育会の進むべき道とは

2017/11/1

人間は信じられない程物質的に豊かになり、世の中は多くの情報に溢れ、分からないことはグーグルで検索すれば大抵わかるようになった。人の価値観は多様化し、アイドルの嗜好は美空ひばり、北島三郎などのソロから乃木坂46などのグループへと変わった。職業は多様化し、職によって求められる能力、人柄すらも大きく変わった。時代は「マス」から「パーソナライズ」へと変化し、今僕はSpotifyで自分用にカスタマイズされたプレイリストを聴きながらこの原稿を書いている。原稿を書き上げれば、Netflixでおすすめされた映画を見る。
人間の寿命は伸び、これからは人生100年時代とも言われる。
人間は自分がどう生きるかを決められるようになり、組織よりも個人の存在感が強まって行く。

今回はこのような時代の変化をヒントに、これからの体育会が進むべき道について考えたい。

① 偉そうな指導者はさようなら

近年日本では、様々なコーチングメソッドが取り入れられ、指導者のレベルは格段に向上している。全国各地で行われる指導者講習会も大盛況な様で向上心のある指導者が増えていることは大変素晴らしいことだ。
一方で明らかに履き違えた態度を取っていると感じる指導者をリーグ戦や練習試合などで見かける機会が多くある。偉そうな態度でベンチに踏ん反り返り、選手に対しては頭ごなしな態度で接する、その場では明らかに指導者と選手は主従関係にある。
前述した通り今はインターネットを通じて大量に情報を得られる時代だ。Youtubeでは世界トップクラスの選手のプレー動画から試合動画まで無料で視聴することが出来、ネットには世界の戦術を細かく解説したサイトやブログが溢れ、いくらでも勉強する事が出来る。このような時代では必ずしも指導者の方が選手よりも競技に精通しているとは限らない。むしろ、選手の方が精通している場合だってあるだろう。以前のように情報を限られた手段、方法でしか手にすることが出来なかった時代では情報を手に出来る立場は限定される。そのような場合は指導者が選手に比べて情報量が勝る場合がほとんどなので、偉そうな態度を取るのは100歩譲って分からなくもない。しかし、誰でも簡単に情報が手にはいる時代に無知の知を覚えず、まだ選手を頭ごなしに怒鳴りつけ、”プレーが悪い!”と言って選手を走らせているような指導者は恥を知るべきである。何を根拠に偉そうにしているのか、全く理解できない。体罰などはもってのほかで、永久追放で良いだろう。そんな人はさようならだ。

② くだらない粗探しはいい加減辞めよう

日本の体育会は大変規律が厳しい部活がほとんどである。細かい規律があればとても楽なのだ。非常に細かい事象それぞれを○か×かはっきりと決められていれば、その基準を下に簡単に判断を下すことができ、上級生、下級生という絶対的なヒエラルキーの下組織の秩序は保たれる。そこには、個性や多様性と言った言葉は無く、あるのは絶対的な規律のみだ。
このような組織作りにはメリットもあった。20世紀の日本社会はとにかく物を作れば売れ、大量生産によって社会全体が成長する時代だった。この時代はとにかく規律、命令に従ってマニュアルを正確に覚え、高速で処理する能力が何よりも重要だった、と言われている。そして、体育会の画一化された組織構造はこのような時代に求められる人材を大量に供給できる組織として価値があった。しかし、これからそのような人材は機械に置き換えられると警告されており、求められる人材自体もマニュアルを高速に処理できる人材から、「想定外」の事態に対処できる人材に変化されるという。部活動は大学の教育活動の一環である以上、組織がどのような人材を輩出していくか、というのは避けて通れない課題である。
では、実際に21世紀型に対応できている部活動はどれだけあるだろうか。非常に少ないと感じる。あなたの所属する部活動は未だに下らない規律で部員を縛っていないだろうか。大抵の問題は当事者がその場で頭を使って考え、意思決定を行えば解決できる事がほとんどである。
自分の所属する部活動に伝統に基づいた細かい、下らないルールがあれば、それはただ頭を使うことから逃げているだけで、4年間「想定外」の事に対処する能力は育まれないだろう。
実際に10月の日本版NCAA創設に向けた学参官連携協議会では就職活動において、体育会プレミアムはバブル期に比べて落ち込んでいるという意見が出た。その理由は社会の人材に対するニーズの変化、 ”会社人”から”社会人”への変化に体育会が対応出来ていないからだと言う。言いたいことは大体理解できるはずだ。体育会もそろそろ変わって行かなくてはならないのではないか。

③ 一意専心の下、組織に縛り付けるのはやめよう

体育会生も結局は学生なのである。だからいくら学生生活において部活動が大きな比重を占めると言っても、それぞれ個々の学生生活があって当然だ。個々の学生生活のポートフォリオをどう組み合わせるかは学生の自由だが、忘れてはいけない大原則は学生の本分は学業であるということだ。(学業とは単に授業に出ることだけでなく個人の研究も含まれる。) そのことをしっかりと認識した上で学生生活において部活動を最優先する生徒がいても僕は別に良いと考えている。(それは個人の意思を尊重すべきで、大事なのは学業が本分であると理解して学生生活を決めていることだ。)
しかし、学生の本分を理解せず、必要以上に部活動へ忠誠を求め、組織に縛り付ける事は明らかに間違っている。日本のスポーツは「道」の精神が色濃く残り、全てを犠牲にして競技に全てを振り切ることが求められる傾向が強い。しかし大学でスポーツをやるメリットは部活動でスポーツをしながら、様々な価値観、考えを持った学生と触れ合うことができる事にある。
大学に所属しているのに、生活を競技に振り切ってしまうことは非常に勿体無く、大学でスポーツをする意味はないのではないかと考えてしまう。
様々な考えを持つ学生との交流を通じて、自分なりに学生生活をカスタマイズする。その上で大学の代表チームとしてあくまで勝利を追求する。そのような柔軟性が必要なのではないか。

以上の3つがこれからの大学スポーツが変わるべきポイントだと思う。
これが現時点での僕の考え方であるが、まだ僕も勉強中の身でこれから意見がコロッと変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。ユニマガを通じて暖かく見守って頂けると幸いだ。

(文章 慶應義塾大学3年 原田圭)