Humberger

〜大学スポーツの価値って何?〜

ユニサカではプロジェクトの一つとして大学サッカー1000人動員を目指しています。
突然ですが、皆さんが思う大学サッカーとは何ですか?
高校サッカーのように青春物語があるわけでもなく、プロ選手がいるわけでもない大学サッカー。
どのようにしたら観たいと思うのか、どのようにしたら会場に足を運びたいと思うのか。日々のミーティングでは問いを繰り返し、考えを出し合っています。
私自身、大学に入ってから友達が所属していることもあり、サッカー以外の部活の試合を観に行く機会が増えました。それぞれ部活動ごとに試合の雰囲気が違って、大学スポーツって面白いなと感じています。
何故、競技経験のないスポーツでもこんなにも楽しいと思えるのかを考えてみたところ、学生一人一人の良さが部のカラーとして出ているからではないかという結論に至りました。

私が大学生になり驚いたことは、選手も学生ですが、運営も学生だということです。大学女子サッカーに関しては学連が中心となりリーグ戦が運営され、全国大会であるインカレの運営も最初から最後まで学生で作り上げています。それは他の大学スポーツにも共通していることかもしれません。
大学生は社会に出て行く前の準備段階でもあり最後の学生生活です。将来を考えているからこそ、いろんなことに挑戦している人が私の周りには沢山います。
そのような人達が創り出す大学サッカーは、チームによって個性があり、とても魅力あるものだと感じました。
その中でも規模が大きいと感じるのはサッカー早慶定期戦です。昨年は初めて早慶戦という歴史ある舞台に立ち、雰囲気を味わいました。沢山の学生が早慶戦を成功させる為に時間をかけ、準備から片付けまで学生(部員)主体で行なっていました。学生主体であるので、試合中であっても道案内やチケットのもぎり、グッズ販売などは部員が担当しています。そのように全員で作り上げる試合だからこそ、高校やプロには生み出せない大学サッカーの面白さがあると感じました。
「大学サッカーにしか無い価値を見出し、より多くの人に知ってもうしかない」この言葉に尽きると思います。

そして、多くの大学が大学サッカー界を変えようと様々なことに取り組み発信しています。大学サッカーはもちろん、大学スポーツを変えるためにも学生である私達が行動に移し、声を上げる必要があると思っています。主役は学生である私達であり、自分たちで改革して行くからこそ、良いものができると考えています。
そしてユニサカとして何ができるのかを明確にし、行動に移していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
是非、大学サッカーに足を運んでみてください!

(文章 慶應義塾大学2年 中井里衣子)

平素よりお世話になっております。目黒雄大です。本来であれば大学1年生ですが、今年4月に入学となります。
ユニサカで最初にお世話になってから早いもので丸2年。今回初めてユニマガを担当させて頂く事になりました。慣れず拙い文章ではありますがお許し下さい。

あの時はまだ小2だったでしょうか。当時、流経大柏の10番大前元紀選手に憧れて目指し始めた高校サッカー選手権。それ以来、どんなに辛いことがあろうと「選手権に出る!」その一心でサッカーと向き合いました。しかし一時、その夢を諦めかけた自分がいたこともまた事実です。ご存知の方もいるかと思いますが、桐蔭サッカー部の監督問題。世間で様々な意見があった様に、選手内でも様々な意見がありました。今回はその中の一つとして読んで頂けたら幸いです。

冷静に振り返られる今だから、、
高校一年時、私は高校前監督のことが大嫌いでした。試合はおろかトレーニング内の紅白戦にすら出してもらえない。こんなやつの元でサッカーをやりたくない。ずっとその思いを抱えてプレーしていました。二年生になる時に学校の方針で監督代行が指揮をとることになった時は飛んで喜んだなー。しかし高校三年になる時、再び前監督が指揮をとることになった時は泣いて反対しました。でも結果は変わらず、、
彼の指導を受けるのが苦痛で仕方がなかった。トレーニングが終わって家に帰り、親に愚痴をこぼす日々。
二週間くらいが経ったかな、「これまで取り組んできたサッカーへの思いは、監督が嫌いだからと冷めてしまうものだったんだ」親が何気なく言った言葉がなぜか自分の心に突き刺さりました。何だか自分でもわからないけれど、情けなくなって、彼がどんな状況でもこいつを使わずにはいられないとなるまでやってやろうと努力しました。
どれも当たり前のことだろ!って感じですが、嫌いの一点張りだった自分にとっては大きな一歩です。自分が言われたことはもちろん、他の選手が言われていることまで全部頭に叩き込む。空き時間はずっとそのイメージをして次のトレーニングで実践する。集合して監督の話を聞く時は必ず一番前に行く。それをひたすら続ける。
気づけば試合に出られる様になり、何よりも彼とコミュニケーションを取る時間が圧倒的に増えた。向き合って話をしていなければ絶対に分からなかったであろう彼の考えを知れた。サッカーの指導だって学べることがたくさんあった。高校一年の時からずっと試合に出られない時、周りでは彼を批判的に見る声も多かったから、それを盾に自分の実力がないことの言い訳として努力することから逃げていたのかな。

自分の価値観と合わない人に出会った時、人はついつい悪い所に目がいってしまう。だけど一歩近づいてみる。良い所を探してみる。向き合ってみる。それでもってあまりに肌が合わなければ距離を置けば良い。最初から嫌い嫌いの一点張りで決めつけるとこちらが損をしてしまう。そんなことを学べた3年間でした。
実はこの時期、彼の指導を拒絶していた選手もいて、彼らとは意見の違いで対立したこともあったけれど、どちらが正しいとかそういう問題ではない。選手それぞれ色々な考えがあって良いし、その意見を思いっきりぶつけ合ってお互いを分かり合えば良い。
色々な出来事が一度に詰め込まれた三年間、何はともあれ最後の年でずっと憧れだった選手権の舞台に桐蔭のみんなと立ててすごく楽しかったです。OBはじめたくさんの方のご支援にも感謝です。ありがとうございます。

相手よりもたった一点多く取れば良いスポーツの中にあまりにも多くの事が詰まっている。完全にサッカーの虜になった15年でした。自分の中でもう選手としてプレーはしないと決めましたが、今後ユニサカをはじめ、何事も自分で自分を決めてしまわず色々な事に挑戦していきます。暖かく見守ってもらえたら嬉しいです。

ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
私が偉そうに物事を語れる立場にないことは重々承知しておりますが、今回ユニマガという場で機会を頂き、高校時代に向き合ったことを率直に書かせて頂きました。
「偏見をもたない。嫌いと向き合う」
同じ様な境遇にいる方が何か少しでも感ずるところがあれば幸いです。

ー勝利至上主義はなぜ危険かー
スポーツ界でよく議論されるようになりました。日大アメフト部問題を始め、勝利至上主義をめぐる問題がなかなか解決されていない現状は、大変遺憾に思います。そもそも勝利至上主義とは、「相手に勝つことを絶対的な目的とする考え方」を指します。勝利至上主義の下で横行する行き過ぎた指導や、体罰が絶対にあってはならないことだというのは当然のことです。では、体罰や行き過ぎた指導が存在しなければ、勝利至上主義は健全なメンタリティと言えるのでしょうか。今回は、体罰などから少し離れた文脈で、勝利至上主義について考えてみたいと思います。

今回のテーマとなる「勝利」
自分のスタイルを貫けばそれが「勝利」だという人もいれば、美しく勝たなければそれは「勝利」とは呼べないという人もいます。では、本当の勝利は何かという議論にもなりますが、それもそれで長くなりそうです。とりあえずここでは、「スコアが相手より上回った状態で試合を終えること」という狭義の勝利と定義して話を進めさせてください。ここからは、エナジードリンクに例えながら、「勝利の先に一体何があるのか」という問いを投げかけたいと思います。

「勝利至上主義の幸福モデル」は、ある種エナジードリンクのそれに似ていると思います。その関係性を2つの側面から説明します。即効性と中毒性/依存性です。

まずは、即効性。眠い時にエナジードリンクを飲むと、それまでの眠気が嘘だったように集中力を発揮することが出来ます。今の私がこの文章を書く集中力を維持できているのも、先ほど飲んだエナジードリンクのおかげです。でも、それはある意味体力を前借りしているようなものです。私は数時間後、猛烈な眠気に襲われることでしょう。「体力の前借りによる一時的な興奮状態」あくまで私見によるイメージですが、これがエナジードリンクにおける即効性のカラクリだと思っています。
これを「勝利」に置き換えて考えます。
「勝利」というゴール設定は、メンバーを1つの方向に向かわせるための熱狂を生みます。勝利に向かう時のチームの状態はきっとアグレッシブで、勝った後の喜びは何物にも代え難いです。団体競技であれば、チームのマネジメントもしやすくなるでしょう。なぜなら、多少の犠牲を払ってでも、未来に勝利という形でその犠牲が払い戻されるという幸福モデルは、とても分かりやすいからです。でもアスリートには、いつか引退がやってきます。そこで、「勝利」という評価軸がなくなります。引退を間近に控えて別のキャリアを歩もうとするアスリートが、「自分はなぜあれほど熱中していたのだろうか。あの日々に本当に意味はあったのか」という不安や恐怖に駆られてしまうのは、この勝利至上主義の弊害の1つでもあると思います。目の前の熱狂は、いつまでも続くものではありません。熱狂の先に、何があるのか、じっくり向き合う必要があるように思います。

次に、中毒性/依存性。エナジードリンクのカフェインは中毒性があると言われています。体力の前借りによって空いた穴を、またエナジードリンクによって埋めようとすると、いつかエナジードリンクがないと生活できない、いわば依存状態に陥ります。
これを「勝利」に置き換えて考えます。
勝つと嬉しいので、また勝利を目指します。負けると悔しいので、次こそはと、勝利への想いもきっと増すことでしょう。「勝つことが全てだ」「勝つことにこそ価値がある」そう自分に言い聞かせ、厳しいトレーニングに励みます。でも、たとえその目的に対する自分の行動に全く落ち度がなかったとしても、いつの日か上手くいかない時期が絶対にやってきます。なぜならスポーツの世界には常に相手が存在するからです。自分が100%のパフォーマンスを発揮しても、相手がそれ以上なら負けることもあるし、逆に自分が70%の調子だったとしても、相手がそれ以下なら勝つことだってあります。「勝利」という絶対的な価値から遠ざかってしまう時、どうすればいいのでしょうか。でも気がついたときにはもう、悩みや不安を解決してくれるのも、自分のモチベーションを守り続けるのも、「勝利」という結果だけ。そのようなメンタリティで純粋にスポーツを楽しめるはずがありません。加えて、相手よりスコアを上回るためであったら、自分たちは何をしても良いのかという話にもなります。勝利に異常に依存してしまう状態は、このようなリスクを抱えているように思います。

エナジードリンクは、あくまで一時的な対処療法に過ぎず、根本の眠気や集中力そのものを解決するものではありません。加えて、カフェインには致死量まで存在しています。同じように、「勝利」はモチベーションや分かりやすいゴール設定の指標になっても、大学スポーツ特有の「なぜ一生懸命頑張るのか」の問いの答えにはなりえないのです。勝利を目的に据え、その達成のために一定ラインを超えてまで「勝利」を目指し続けるのは、危険です。つまり、勝利はあくまで手段である、という結論に至ります。

勝った時の喜びや感動。
勝利に向かう時のチームの一体感。
勝敗がかかった時のスタジアムの緊張感。
スポーツは「勝敗」をかけた戦いであるがゆえに、多くの楽しみを生んできました。
勝利を目指すプロセスにこそ、様々な成長があるのも十分理解しているつもりです。
私も、どうせやるなら勝ちたいし、勝てば嬉しいです。
だからこそ、「勝利」に対して、真摯に向き合っていたいなと思います。
勝利に対して健全なスポーツ界であってほしいなと強く願っていますし、
そんな社会を実現させるのだという気概を持って活動しています。

みなさんは、勝利の先にあるものは何だと考えますか。

(文章 慶應義塾大学3年 奥山大)

学生というのは当然ながら若い世代である。
どれくらい若いのかというと、今の大学4年生は1995年生まれ、大学3年生は1996年生まれ。すなわち我々は1993年のJリーグ誕生を知らない。鈴木大地スポーツ庁長官が金メダルを獲得したソウル五輪は、さらに前の1988年である。

我々が産まれてからの約20年間は、しばしば『失われた20年』と言われている。日本スポーツ界においてもこの20年は、経済規模でアメリカに大きく引き離された20年となった。
現在の興行収入は日本プロ野球の1400億に対し、米国MLBは1兆。実に7倍もの格差がある。ところが20年前は日米でほとんど変わらなかったというのだから、当時を知らない我々にとっては、もはや信じ難いレベルの話だ。
20年も経てばこの格差は常識となってしまった。

「稼ぐならアメリカ、だからアメリカに行きたい。」
カネと夢のデカさは同じだ。子供たちが、日本でプロ野球選手になるよりアメリカでメジャーリーガーになりたいと思うようになるのは当然のことである。昔に比べて日米間のプレーレベルの差は格段に小さくなったというのにも関わらず、だ。

カネと夢を同列に扱うなという人もいるだろう。
しかし、子供の夢は産まれた時代の常識に左右される。そしてその常識にはどうしてもカネが関わる。
つまりこれは単なる大人の欲望の問題ではなく、子供の夢の選択肢という最も純粋な話なのだ。だからこのカネの話から目をそらすことはできない。

私はアメリカのスポーツビジネスモデルが必ずしも正しいとは思っていないし、日本はアメリカのマネをすればいいとも思っていない。
ただこれだけは言える。”アメリカンドリーム”は今やアメリカ人だけのものではない。スポーツ界に限らず、アメリカで成功を収めたい人は世界中にいる。その中には多くの日本人もいるはずだ。
私が悔しいのは、アメリカで叶えられることが今の日本ではできないということ。本来アメリカでできることが日本でできないはずがない。それなのに今の日本では夢を見ることすら容易ではない。

繰り返しになるが、我々の世代の多くの日本人プレイヤーにとって、最終目標は海外でプロになることである。彼らの中には「日本で稼ぐ」という夢の選択肢を失った人が少なからずいる。
だからこそ、この夢を取り戻すため、我々がやらなければならないことは多々ある。
と同時に上の世代からは、日本に夢があった頃の話を教えていただかねばならない。
知らないものは学ぶしかないのだ。

(文章 慶應義塾大学3年 市川嵩典)