Humberger

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第9弾~

 

 

インタビュー
俣野 泰佑(またの たいすけ)
所属:元東京大学ア式蹴球部
生年月日:1995年6月7日

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)宜しくお願いします。

(俣野)宜しくお願いします。

 

(高原)ユニサカに入ったのはいつ頃ですか?

(俣野)人伝に早慶クラシコ(早慶サッカー定期戦)で何かやろうとしている人がいるということを耳にして、自分から会いに行きました。最初草太郎(林草太郎)と話して、構想がとても面白いなと思い、ジョインしたのが2016年度の冬です。ちょうどプロジェクトとして動き始める時に入った感じです。

 

(高原)どのようなところに面白さを感じたのですか。

(俣野)そもそも自分は早慶ではないので関係ないのですが、面白みを感じた部分はみんなと同じだと思います。自分は東京大学ア式蹴球部のマネージャーでした。大学一年生時は選手として活動していましたが、ずっと大学でサッカーをやることに意味を見出せなくなっていて、大学で色々なことにチャレンジしたいし、社会との接点を持ちながらビジネスの準備もしたいなと思っていた時期がありました。部活も休部したりして自分自身の可能性を模索していた時期もありました。休部期間、何か物足りなくなり部に戻りました。その時に部のみんなは人として芯があるなと、休部期間に外の世界を見たからこそ感じるものがありました。
芯のある人間が多く存在する組織環境に自分も身を置きたい一方で、サッカー以外に色々トライしたいと考えていた時に部のジェネラルマネージャーに就任することになりました。
そしたら一石二鳥といいますか、そういう芯のある部員と付き合いながら、自分がやりたかったビジネス的なところもここでできます。
しかしそのポジションは難しくて、馴染む必要はないのかもしれませんが、チームに馴染めておらず、何か打開策はないかと考えていました。その時にちょうど早慶クラシコというプロジェクトを耳にしました。ユニサカの仕組みってとても簡単にいうとお金と人を集めてそれを資源にしてチームを強くしましょうということじゃないですか。
会社もそうだと思うのですが、人とお金といったリソースがどれほどあるかによって強さは決まります。それをどのように集めようかとなった時に、早慶クラシコプロジェクトの仕組みであるお金を集めて資金にするという考え方はすごく画期的だと思いました。関わることで、自分自身にそのノウハウが蓄積されること、あとはそれを東京大学にも応用できないかなというここの2点で面白みを感じて、関わりたいと思うようになりました。長くなりましたね(笑)。

 

(高原)ユニサカに関わり始めた時の、俣野さんが考える大学サッカーの課題感というのは先程の話からも繋がるように人とお金といった部分でしたか?

(俣野)はい。あとはその裏にある「なぜ人とお金が集まらないのか」というところですね。文化というか、ステレオタイプというか、大学スポーツはこうあるべきだという文化が、人とお金が集まるのをを阻んでいると思います。
また、人とお金が集まることでこのようなことが実現しますといったビジョンを誰も示せていないのです。
大学スポーツと言われても魅力的だなと感じる人は少ないのではないのでしょうか。もはや大学スポーツという言葉自体に魅力的な響きがないのだと思います。例えばアメリカのNCAA(全米大学体育協会)。NCAAとか言われたらキラキラしているなって思いませんか?(笑)

(高原)そうですね。イケてますよね(笑)。

(俣野)ユニサカは自分たち(学生)が主役になれるじゃないですか。自分たちが変えられるじゃないですか。それはすごい説得力だと思います。学生たちにとって、ユニサカのような組織がこういう風なビジョンを目指すんだと提示したら、それはすごく刺さると思います。現在ビジョンが欠けている大学スポーツに、ユニサカがしっかりと示していく。やっていく。これが大事ですね。
イケてるものにするためにはなにか起爆剤のような、打開策みたいなのが必要だと思います。それで早慶クラシコプロジェクトとユニサカっていう組織が非常にそれに近く、理想的な打開策に近いですね。

(高原)なるほど。ビジョンを提示するという観点からリーダーシップも大切ですよね。

(俣野)まさにそうです。しかしリーダシップのような、新しい考えを示してくれる人がいない気がします。どこか大きな流れにのっておけば良いという空気感が大学スポーツにあるような気がします。そんな中、自分がユニサカに入ったのは渡辺夏彦の影響が大きかったと思います。

 

(高原)そうなんですね。
創設時の現社会人メンバーの方々は渡辺夏彦さんの影響について必ず言及しますね(笑)。

(俣野)体育会とか慶應の中でもエリートでいながら、何か違うビジョンを示せるんですよね(笑)。大きな流れに身を任せずに、こうあるべきだというものを躊躇なく新しく出せる人間です。自分ももちろんそのような問題意識はありましたが、それを実行するハードルは越えられていませんでした。自分の心の中でもハードルはあるし、実行の壁もありました。

(高原)やはり、そのように高い壁を超えて何かを打ちだせる人はなかなかいませんよね。

(俣野)全然違うことをできるというか、夏彦も敵を作りたいわけでではなくて、こういうこともあるよね、こういうこともできるよね、みたいなものを示せる強さというよりは柔軟さのようなフレキシブルな感じです。自由人ですからね(笑)。

 

(高原)話は少し変わりますが、創設初年度の2017年の早慶クラシコの印象は覚えていますか?

(俣野)実は早慶クラシコ当日就活していました(笑)。遅れて会場に行ったのですが、夏彦が1点決めてもしかして今年慶應勝てるかもしれない試合状況でした。結局早稲田が勝ちましたが(笑)、夏彦が1点決めたという話を聞いてとても感動しました。自分でビジョンを打ち出して早慶クラシコを創り、ピッチ上では得点まで決めた。めちゃめちゃかっこよくないですか(笑)。
それから毎年早慶クラシコを現場観戦していますが、毎年感動的ですね。あれこそ大学スポーツで、大学スポーツのあるべき姿ですね。

 

(高原)今も、スポーツ関係のお仕事をされているのですよね。

(俣野)おそらく、ユニサカに入っていなかったらしていなかったですね(笑)。
早慶クラシコで、何となくの流れと違うことをやったわけじゃないですか。自分はそこである程度リミッターを外すことができたところがあります。さらに早慶クラシコを観たときに、スポーツの力というか普通のサービスとは違う力を感じたのでそこを目指しています。

 

(高原)社会人という立場からユニサカをみたときに、学生たちをどのようにみていますか?

(俣野)頑張っていると思っています。でもまあ、自分らの代も含めてまだまだだなって思いますね(笑)。色々な課題意識からユニサカに入りますが、その課題意識が全て解消されたかというと、自分的にはそうではなかったです。だからまだユニサカに関わっているのですが。
でもやっぱり一番動ける、それを変えられるのは学生の皆で、どこまでやりきれるかと想像したらまだまだだなと思います。
毎年思っていますが、早慶クラシコやって終わりだともったいないですね。

 

(高原)最後に、自身にとってユニサカを一言でいうと何か教えてください。

(俣野)「宝箱」ですね。ユニサカから社会に出ていく人たちは優秀で各方面で活躍しています。大事にしていかなければならないものですよね。自分自身のルーツとしても大事にしていきたいですし、これからの大学スポーツのための宝箱だと思いますし、優秀な人を輩出していく宝箱だと思います。

(高原)ありがとうございました。このインタビュー企画を通して初めて早慶以外の人からのお話を聞けて大変面白かったです。早慶ではない大学からもこうして興味を持ってもらって、今まで以上に早慶クラシコは特別なものなのだと再確認しました。大学スポーツをいかにイケているものにしていくか、これは大学スポーツの組織内にいる人も外にいる人も是非考えて欲しいことですね。今すぐは難しくても、いつか大学スポーツがキラキラしているものになったら、今大学スポーツの組織に在籍している私も嬉しいですし、大学スポーツが憧れの存在になるのを期待しています。

 

 

 

今回の記事をもちましてユニサカメンバーインタビュー企画は終了となります。

お読み頂きまして、誠にありがとうございます。
今後ともユニサカはPhilosophyに向き合い、アクションを起こしていく所存でございます。
何卒宜しくお願い申し上げます。

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第8弾~

 

 

インタビュー
杉原 裕斗(すぎはら ひろと)
所属:元慶應義塾大学総合政策学部
生年月日:1996年2月28日
出身校:慶應義塾湘南藤沢高等部

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)よろしくお願いします。

(杉原)お願いします。

 

(高原)ユニサカに入ったのは、ユニサカ創設と同時と伺いました。

(杉原)そうですね。当時は夏彦(渡辺夏彦)と草太郎(林草太郎)と当時ソッカー部(慶應義塾大学ソッカー部)のマネージャーをやっていた人の3人がいました。その3人から一緒にやらない?と誘ってもらったのがきっかけかな。夏彦と自分が同じゼミだったのでそこの繋がりです。それが大学3年生の早慶クラシコ直前のことで、本格的に活動を始めたのは大学4年の早慶クラシコに向けてです。

(高原)草太郎さんやその当時のマネージャーの方は夏彦さんとソッカー部での繋がりで、杉原さんはゼミで繋がっていたということですね。
杉原さん自身、もともと大学スポーツに課題意識があって、それを夏彦さんが理解していた上でのお誘いだったのですか?

(杉原)勧誘は大学スポーツへの課題感というより、もともと自分と夏彦が入っていたゼミはスポーツビジネスを研究するゼミだったのでその関係ですね。
実は夏彦の名前は小学生くらいの頃から知っていました(笑)。彼が中学校までいたチームがうちの近所で、小学校のとき友達から渡辺夏彦くんっていうナショナルトレセンの子がいるんだよって話を何度か聞いたことがありました(笑)。それで大学に入って同じゼミに入って、という間柄なんです(笑)。
それで自分は大学2年の夏くらいからバスケのBリーグの立ち上げをおこなっていました。夏彦はおそらく何か自分でプロジェクトを立ち上げようと思った時に自分を気にかけてくれたのだと思います。

 

(高原)ユニサカは早慶クラシコを盛り上げようということで結成されたのですね。
杉原さん自身はもともと早慶クラシコを見たことがあって興味を持っていたのですか?

(杉原)サッカーの早慶クラシコは大学2年生のときに初めて見たのですが、あまり認識はしていませんでした。父親も母親も弟も慶應義塾大学出身で、昔から慶應愛みたいなものが浸透していました。だから早慶戦自体は小さい頃から知っていました。毎年神宮に野球を観に行ったりしていて、大学に入学しても野球早慶戦は基本全部観に行っていましたね。
もちろん各競技に早慶戦があることは認識していました。友達が出場していたアイスホッケーやアメリカンフットボールは観戦しましたね。ちゃんとサッカーを観戦したのは2年生のときでした。自分は1年生の時にゼミに入ったのですが、先輩にソッカー部のキャプテンがいたので、その繋がりもあって観に行きました。

 

(高原)学生の頃Bリーグを立ち上げたのは自分から関わったのですか?

(杉原)すごい元を辿ると、中学校と高校がSFC(慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部)でした。大学入学のタイミングで学部を選択するときに、入ゼミしたいゼミがあるからSFCを決めました。スポーツビジネスを専攻したくて1年からそのゼミに入ったのですが、座学とともに規模が小さくても実際に自分も現場に携わりたいと思い、プロスポーツでビジネスが行われようとしているところに関わって、その中に入っていきたいと考えていました。自分にできることはないか考え、大学1年生のときはお会いしてくれそうなスポーツとビジネスを掛け合わせている人に連絡を取って会いに行っていました。後にBリーグの事務局長になる人と前職にいたときにお会いする機会があって、大学2年時にその方から、
「今度バスケの新しいプロリーグを作るんだけど手伝う?」
というお誘いを受けて始めました。それで自分は主にBリーグの広報を担っていました。そのような形ですごく色々なことを2年半やっていました。

 

(高原)今は、大学卒業してどういったことをやられているのですか?

(杉原)今は大学3年の終わりから会社を設立してそのままやっているので、電動キックボードを使ったサービスを提供する会社です。公道は走行できませんが、今月宮崎県でおこなわれるプロ野球のキャンプ地で実験をします。

 

(高原)社会人になられてもユニサカにも在籍していますね。社会人になってユニサカではどのようなことをやられているのですか?

(杉原)ユニサカで監事をやっています。決算などのお金の管理とかですね。

 

(高原)社会人という立場からユニサカをみたときに、もっとこうしたほうがいいのになとかありますか?

(杉原)難しいですね(笑)。学生主体で運営する組織の構造的な問題として、代替わりがあるのでどのようにして毎年リクルートするのだとか、組織としてのクオリティをどう保っていくのかということがとても難しいと思います。あとは、どこまで社会人メンバーが手を出せばいいのかが難しいですね。やはり学生主体なので、学生たちから出てくるやりたいことをユニサカという箱を使ってうまくやって欲しいと思います。それはしっかりとサポートします(笑)。

 

(高原)最後に、杉原さんにとってユニサカを一言でいうと何か教えてくだい。

(杉原)これも難しいですね(笑)うーん、「子ども」かな。
これはユニサカだけじゃなくて、おれが立ち上げたプロジェクトや会社とかはなんだかんだそのような気持ちですね(笑)。素敵な理想を掲げている活動だと思いますし、ずっと残っていってほしいです。もちろん良い形で。「子ども」という意味はそのような感覚です。なくなってほしくないということですね。

 

(高原)杉原さんが仰っていた学生団体の代替わりの難しさとても共感できました。私も学生主体である組織に在籍しているのでその課題についてはしっかりと見つめていく必要性があります。いまのユニサカに関しましては、私の同期の西川玄記が自由に活動できているのは恐らく杉原さん方創設メンバーがしっかりと土台を作ってくれたからだと思いますので、私も後輩たちが活動しやすい土台づくりをして継いでいってもらえたらと思います。ありがとうございました。

(杉原)ありがとうございました。

 

 

次回の記事もお楽しみにしてください。
それでは失礼します。

 

 

【次回告知】
2020.2.8(土) リリース
インタビュー:俣野泰佑

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第7弾~

 

 

インタビュー
渡辺 夏彦(わたなべ なつひこ)
所属:元慶應義塾体育会ソッカー部
生年月日:1995年6月26日
出身校:國學院久我山高校

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)よろしくお願いします。

(渡辺)お願いします。

 

(高原)前回草太郎(林草太郎)さんにインタビューした際に、夏彦さんから声をかけて頂いてユニサカ創設に至ったとお伺いしたのですが、創設に至った理由を教えてください。

(渡辺)もともとユニサカを立ち上げようとは全く考えていませんでした。ただ、とにかく早慶クラシコ(早慶サッカー定期戦)を盛り上げたいと思っていました。当時の早慶クラシコも盛り上がっていましたが、もっとポテンシャルはあるし、早慶クラシコをきっかけに様々なことにチャレンジできるのではないかと思い、草太郎と当時マネージャーだった同期に早慶クラシコプロジェクトを持ちかけたのが最初のきっかけです。ユニサカというより、部の中の早慶戦委員会のような形で始まりました。

(高原)早慶クラシコを盛り上げるプランというのは具体的にどのようなものだったのですか?

(渡辺)一番最初は、当たり前のようにやるべきことを全然やっていないことに気付いて。集客も早慶両校が呼びかけているだけでしたね。コンテンツ自体も色々なことをやろうとしていなかったり、イベント自体を充実させようという風に進んでいなかったな。結局集客しているのはチケットの手渡しを頑張っているだけで、客層も狭かったと思います。なので、もっとたくさんの人に来てもらいたいということを考えていたぐらいです。そんなに詰めていたわけではありませんでした。

(高原)そこからユニサカになったのはどのような流れですか?

(渡辺)自分たちがやりたいことを進めていくうちに、早慶戦委員会や部の領域ではできないことに直面したからです。どちらも金銭面的な意味合いでですが。大金を扱おうとして協賛企業を訪問した際に、どちらも任意団体だったのでそこにはお金を入れられないと言うふうに言われました。そこで色々考えたときに、別団体を作ってそこに法人格を持たせようというような案や、早慶委員会自体を法人化しようという案などがあったのですが、早慶委員会自体を法人化するのはとても難しかったです。そして更に自分たちがプロジェクトを結構進めていたので、その中で様々な課題や大学サッカーの問題点だとかを見つけていたのでそこの課題感も含めてユニサカを立ち上げて、早慶クラシコだけではなく、これを色々なきっかけとして様々なことをやる団体をつくろうということで始まりました。時間的にいうと、プロジェクトが始まって半年くらい経ってから法人をつくったという流れですね。

 

(高原)当時感じていた大学サッカーの課題ってなんだったのですか?

(渡辺)これはプロジェクトを進めていくうちに気付いたというか違う視点になっていって分かったことなのですが、慶應側の自分たちの課題としてお金がないことが挙げられていました。OBの方々の寄付だけに頼っていて良いのか悩んでいました。とにかくお金が間に合っていない状況でした。自分たちがもっとこうしたいと言ってもなかなか賛同してもらえないという難しいところもあったのでお金を集めていかなくてはいけないねと話していました。
じゃあなぜお金がないのだろうかと考えたときに、大学スポーツは学校の部活動みたいなものとそうじゃないところの中間みたいなところに所属している感覚だったので、そこが問題というか、このような立ち位置だからそのようになっているのだなと。立ち位置が微妙だから学校からの支援も微妙なのだろうと当時思いました。そのような意味で言ったらもっと自分たちにできることはあると気付き、当たり前のことですがお金を回すシステムをしっかりと作っていく必要があると思っていました。

(高原)環境的な面ですね。

(渡辺)そうですね。この環境的な問題とあともう一つ、これは自分自身の思いが強かったのですが、当時は大学サッカーをもっとレベル高くするべきだと思っていました。競技力向上したい、そのためには良い環境が必要、良い環境を作るためにはきちんとお金が入る仕組みを作らなくてはいけないと。

(高原)それはやはりプレイヤーとして活躍している夏彦さんだからこその視点ですかね。

(渡辺)そうだと思います。ただ、自分が大学サッカー終えたときに解決すべき課題は競技力うんぬんじゃないのかもということも感じました。草太郎とも話して、大学サッカーってなんだろうねって(笑)それで結局現在のユニサカでも話しているような、大学サッカーをもっとオープンなものにして、サッカーだけにとらわれない視野や思考や価値観をもった人間を輩出できるような活動にしたいとも思っています。競技力や結果だけにフォーカスしないで、一人の人間としてどうなっていくかということを促していくべきなのではないのかと感じました。
もしかしたらそのようなことができた時に、初めて最初目指していたようなところに関係していくかもしれませんし。
自分がすごくそう思ったのは、そもそも19歳から20歳で大学にいる時点でサッカー選手としては終わっているなと。仮に競技力の向上という意味で考えて世界にというところを考えたら、もう遅すぎるという考えも自分の中に多少ありました。なので、よりポジティブに捉えるためには、違う方向の勉強しながらであったり、様々なことに気付きながらやっていくというのが必要なのかなと、そういう方向を目指すべきだと思いました。

 

(高原)そういえば、前回草太郎さんのインタビューを行った際、草太郎さん自身も夏彦さんをとても魅力的に感じているなと思いました。

(渡辺)本当ですか?(笑)旗を振るのは得意です。旗を振るのはね。(笑)
でも細かいことは全部草太郎に任せてしまっていた記憶があります。(笑)
最初に、早慶クラシコを満員にしたいと言って、どこから何人集めて満員にしようとかを話しました。例えば小中高生を増やしたいからそのためにこのようなことができるだとか、最低限イメージできるというか、描けるような状況にはした気がします。
多分何事も始めてみることが大切ですね。よく分かっていないことも多かったけど、訳分かんないけど頑張ってみておそらく次に繋がることがありました。下から入って来たユニサカのメンバーにもそのような経験をしてほしいなと思います。なので、このユニサカの環境を利用したいと思ってくれている子がいるのならばそれが使えるようにしなければいけないのです。

 

(高原)そうですね。インタビューをして感じましたがユニサカに所属している学生さんたちは個人個人やりたいことがはっきりしていてとてものびのびと活動できているのだろうという印象を受けました。間違いなく良い方向につながっていると思います。
また、ユニサカ創設当時の大学サッカーの課題と現在の課題を対比してみてどうですか?

(渡辺)違うとは思いませんが、目指すべき方向性は変わったのかなと思います。課題感などは消えたわけではありませんし、その課題はまだ残っています。その方向性は誰が決めるわけでもないですし、長期的に取り組まなくてはいけないものでもあるのですが、ユニサカのフィロソフィーがなぜ「自分たちが大学サッカーを変えていく」なのかがとても大事で、このフィロソフィーに全てが詰まっています。ミッションとかコンセプトが変わるとかは良くて、学生自身が直接現場に立って感じている課題感と、それを吸収して、こうしたいと考えることに一番価値があって、とても大切なことだと思います。

 

(高原)話しは変わりますが、現在は日本を離れドイツでサッカーをしていますね。
日本のサッカーとドイツのサッカーは何が違いますか?

(渡辺)何も一緒じゃないですね。同じことが一つもなくて、全部違うので本当に面白いです。(笑)
個人の概念がはっきりしているのだと思います。なので個人対個人になるのでそこの対立とか、攻撃意識のようなものはベースにあります。
プレーは激しいし、一瞬一瞬により集中しているしワクワクしますね。(笑)

 

(高原)大学卒業して、学生ではない立場からユニサカを見たときにどうゆう風に写っていますか?

(渡辺)枠の中にいるなというのはすごく感じます。別に、僕らもそうだったし偉そうに言えることではないけれど、当時を振り返ってみてももっと枠の外に出ても良いのになと思います。まだまだ固定観念の中にいるんだろうなっていうのは、当時の自分たちにも言えますし現役のメンバーにも言えます。ガツガツ行くっていうことは、俺からしたらそれほどポイントではなくて、自分たちが本当にこれやりたいとか、自分たちが一番ワクワクできるもの、ちょっと届かないかもしれないけれどでも本気で目指したいものに出会えたら勝手にガツガツすると思います。ガツガツするかしないかは本質じゃないですね。そのポイント設定とか、みんなが頭の中にどのような絵が描けていて、その絵が共有できているのかということが一番重要だと思います。それがあれば自然とガツガツするし、みんなエネルギーをすでに持っているから、そのガツガツは勝手について来ます。絵を鮮明にすればするほど、その夢に近づく準備ができると思いますね。

 

(高原)最後に、夏彦さんにとってユニサカを一言で言うと何か教えてください。

(渡辺)「なんでもない」かな(笑)。なんでもないけれど、体育会に入って、本気でサッカーに打ち込んでいる人たちって本当にすごいと思っていて、それは試合に出てる出てない、トップチームにいるいない関係なくて。その環境の中で試合に出るためにこうしなくてはいけないって日々考えていることはものすごいことだと思います。ここまで頑張って来たら、自分の道を切り開けると思うし、自分たちがやりたいことをやっていける人たちだと思います。その人たちがユニサカを通してそういうコトやモノに気付ける場であったらすごく嬉しいと思っています。気付くような場所であってほしいし、そういう人が集まるユニサカであってほしいです。そういうユニサカでの輪が広がるということはすごく面白いと思います。そしてそれはみんなが大人になってみないと分からないことですが、ここもユニサカで繋がっていたのかとか、将来そこから色々な業界に行ったりとか、スポーツ界に戻って来たりだとか、という未来はあったら面白いなと思います。

 

(高原)そうですね。私自身大学の体育会でマネージャーをやっていますが、将来的にここで知り合った人たちと繋がったりしたら面白いなと考えることがあります。ユニサカも同じで、今回インタビューで関わった方々とこれから先何かの縁で繋がれることがあったら嬉しいです。人との繋がりって大切ですね。ありがとうございました。

(渡辺)ありがとうございました。

 

 

次回の記事もお楽しみにしてください。
それでは失礼します。

 

 

【次回告知】
2020.2.1(土) リリース
インタビュー:杉原裕斗

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第6弾~

 

 

インタビュー
林 草太郎(はやし そうたろう)
所属:元慶應義塾体育会ソッカー部
生年月日:1995年5月22日
出身校:清水東高校

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)本日はよろしくお願い致します。

(林)よろしくお願いします。

 

(高原)まず始めに、ユニサカの創設メンバーの一員とのことですが、創設に至った理由を教えてください。

(林)ユニサカ創設当時、僕は慶應義塾大学ソッカー部の副務をしていました。その頃に、夏彦(当時の代表理事:渡辺夏彦)から「早慶戦を満員にしない?」というお誘いを受け、そこから始まったと記憶しています。ちょっと美化しているかもしれませんが(笑)、そのときはとても突飛なことだと思いました。なぜそのようなことをやるのか聞いてみたところ、早慶戦を満員にするのは1つの目標であるけれど目的ではなくて、早慶戦を満員にしてそれで大学サッカーに注目が集まり、そこに対して価値がついて協賛がつくようになれば、更に強化に回せるお金も入るのではないかということでした。早慶戦を満員にしようと言われても正直本当の話かよってなると思いますが、夏彦の話を聞いたら確かにできるような気がしてきたんです。これは夏彦の魅力の1つでもありますね(笑)。自分は主務・副務もやっていましたし、もしやるならばトップを目指してやりたいなと思ったのが、誘われたきっかけ、始めたきっかけ、自分もやろうと思ったきっかけですね。

 

(高原)創設当時から現在とで、大学サッカーに対しての課題意識みたいなものに変化はありますか?

(林)それで言うと今も当時も変わっていなくて。年間を通して様々な公式戦、選抜などそのような強化面は学連中心に行われていているのですが、それに終始している気がします。各大学の取り組みであったり、その部活が何をやるのか閉鎖的で周知されず、価値観が固まっていると思います。ただ、それを継続的にできますかと言われたらやはり学年が変わるごとにどんどん色が変わっていきます。そこは今と全く変わらないと思いますね。

 

(高原)当時、横の繋がりみたいなものは感じていましたか?

(林)そうですね。ただ、ユニサカがやろうとしていたことは、大学サッカー・大学スポーツといえば「早慶戦」、もっと言えば日本のサッカーと言えばというレベルのところまで突き抜けて1つ風穴を開けることでした。早慶クラシコが1つのモデルとなって他校に展開していけば自然と広がっていくというような考え方をしていたのであまり横の繋がりには特化していなかったように思います。その代わり、他大学の人であったり、サッカー部じゃない人とも積極的に色々な話をしていました。

(高原)実際に早慶戦をやってみて、成果を感じたり、風穴を開けられたという実感はありましたか?

(林)正直、満員という数値的な視点から見ると人数としては思ったより入りませんでした(約12,000名)。ただ、このような学生の団体を部に認めてもらいつつ、結果を残していくという経験をユニサカという団体でできたことは1つ成果があるなと感じました。
もう1つ、世間的な意味合いで言うと協賛面での成果を感じました。以前まではOBOGの方々の企業から協賛を頂くことしかできていませんでしたが、一般的な企業へお願いできるようになり、そのようなところでは風穴を開けるまではいきませんが、風穴はここだというか、ここを掘っていけばもっと良くなると見つけられたのは大きかったです。
2019年は平日開催にもかかわらずあれだけ入場者数も増えていて、あれだけ集まるのはやはりすごいと思いました。平日と休日でどれだけ影響がでるのかはまだ分かりませんが、右肩上がりに増加しているのではないかなと思っています。

 

(高原)現役時代、どのような志でユニサカの活動をしていましたか?

(林)大学サッカーをより良くしたいというのはありました。それは大学サッカーが好きだからというよりは、自分がいた環境だからですね。自分がいる環境で自分がやっていることは、自身が大学サッカーに在籍する間には開花することがないことですが、ユニサカという団体が立ち上がって早慶戦をやり始めたのがキッカケで、「大学サッカーってこうだよね」とか言われる存在になれたらいいなと思っていました。それはやはり自分が所属していた慶應義塾大学に対してもそうですし、ソッカー部という存在に対してもそうです。自分が所属している組織が長期的に見て発展していくというのはすごく良いことだと思いますし、自己満足かもしれませんが、そのようになってほしいなと思いやっていましたね。

 

(高原)夏彦さんの影響を受ける前から、草太郎さん自身には大学サッカーに対しての課題感というものはあったのですか?

(林)うーん。部自体を良くしたいとは思っていました。自分は副務(後の主務)にも選ばれていましたし、学年の中ではある程度みんなから信頼を頂いていたと思っています。それってどのような評価なのかなと考えた時に、部内で仕事をちゃんとやっていましたかとか、真面目にサッカーやっていましたかとか、人に対して厳しく言えますかとか、その程度のレベルでしかないと思いました。自分は静岡県清水東高校出身だったのですが、慶應のソッカー部だったらサッカーのレベルだけではなく、部としての内面的なレベルなども高いものだと思っていましたし、高いものであるべきだと思っていました。だからこそ何か少し感じるものはありました。主務・副務として何か成し遂げたいとは思いつつ、競技として結果出したいところもありました。それなりに葛藤していましたね。主務・副務はやはり顕著だと思うのですが、その組織で選ばれた人なのでその組織の価値観でしか選ばれていなくて、そのような意味では自分もソッカー部の価値観に染まっていたなと思います。夏彦の話を聞いて、自分が今までやってきたものがとても内向きだと気付かされましたし、逆に内向きな話の中で価値があることもあるし、それをもっと外向きな話でやれることもあるのだなと気付いたのがすごく大きいかなと思います。

(高原)やはり外部からのソッカー部の印象と、内側に入ってわかることにギャップみたいなものってありましたか?

(林)それは正直ありました。偉そうに言っているわけではありませんが、組織に対しても所属している自分に対しても感じていました。このままだと何も残らないし、高校時代と全く同じではないかというのはすごく思っていました。そうなったときに、もっと自分がやるべきことはあると思うし、やらなければいけないし、これだと今までとあまり変わらないだろうなと考えた期間もありましたね。

(高原)大学の単調な感じに違和感があったと仰っていましたが、高校のときからそのようなものは感じていたのですか?

(林)そこまで思っていませんでしたね。高校の時にはキャプテンをやらせて頂いて、文武両道と言われる高校でサッカーをしていたことに満足していた自分もいました。それで高校時代はただ与えられた役職がある中で、与えられたことをやっていただけでした。指定校推薦で大学が決まったのでサッカーを続けるか否かを考える期間もあったということもあり、サッカーをやる意味などを考えることができたので、それが大学でそのように考えるようになった一因なのかなと思います。

(高原)大学でサッカーを続ける決断をした理由というのは、高校でやりきれなかった部分もあるからですか?

(林)そうですね、と言えたらすごくかっこいいと思うのですが…(笑)正直うちの高校は指定校推薦で大学へ進むなら選手権までサッカーをやって、大学でもサッカー部に所属するという風潮がありました。最終的には割と流れに身を任せてみたいな感じになってしまった事実があります。

 


(高原)社会人になってもユニサカをサポートしていますが、大学生の頃からずっとユニサカに関わり続ける理由みたいなのはあるのですか?

(林)それで言うと、先ほど述べた自分が所属していた組織が、というところが1つあります。
もう1つ言えるのは、ユニサカの活動をしていく上で協賛企業の方など色々な人にお世話になったことが言えますね。色々な人に支えられながらやったということもあり、学生の思いに賛同してくれた社会人の方々の協力があったからこそ達成できたという実感があります。だから、しっかりと恩返しをしたいと思っていますし、学生をサポートしたいという思いを引き継ぐというか、しっかりと返したいなと言うのはあります。

(高原)社会人になって、社会人という立場からユニサカを見た時にどのように映っていますか?

(林)良い意味で、もっと周りの目を気にせずにやってほしいなと感じますね。求められたことをやればある程度評価されるというのもあって、おそらく周りから求められるものとか現状問題として見えているものを解決することは、誰しもがやろうとすることだと思います。それをしっかり実行できるかという意味ではとても差が生まれると思うけれど、もっと一歩踏み込んだ話をして良いのかなと思いますね。偽善とか夢とか言われがちなことでも、それを本気でやって突き抜けるということは
「自分たちが大学サッカーを変えていく」
というユニサカのフィロソフィーと同じような形で重要なものだと思います。もちろん周りの目を気にしなければいけないところもあるけれど、気にしすぎずにやってほしいなというのはあります。

(高原)確かに、学生の立場からだと社会人の方に気を使ってしまい、要求だったり発言をためらうことは私自身あります。

(林)学生であることが、自分をディスカウントする要因だと思わなくていいと思います。学生だからこそ言っていいこともあると思います。ただ一方で、学生だからと見られないようにしなければいけないところもあります。この線引きをしっかりして礼儀正しく一人の人間としての対応をしていれば学生だからというのを悪い意味で使う必要はないと思います。だからこそ、もっとワガママにやって良いと思うし、どんどん要求していくべきだと思いますね。そしてそれを周りが応援したくなる団体になってほしいですね。

 

(高原)最後に、草太郎さんにとってユニサカを一言で言うと何ですか?

(林)「自分をワガママにさせてくれる団体」かな。さっきの話とも通じますが、それこそ自分自身とても内向きの価値観で話していた時期もありました。でもそれを気づかせてくれたのは夏彦とかユニサカの人たちでした。やり続ければ偽善とか夢とか思ったことが目標になるし、できるかもしれない。それを気付かせてくれた場所でもあり、それがあるからこそ応援される組織になるのだと思いますね。

 

(高原)ありがとうございました。

(林)ありがとうございました。

 

 

次回の記事もお楽しみにしてください。
それでは失礼します。

 

 

【次回告知】
2020.1.25(土) リリース
インタビュー:渡辺夏彦

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第5弾~

 

 

インタビュー
犬塚 天蓮(いぬづか あれん)
所属:早稲田大学1年
生年月日:2000年8月24日
出身校:藤枝東高校

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)よろしくお願いします。

(犬塚)よろしくお願いします!

 

(高原)まず、自身のサッカー人生について振り返って頂けますか?

(犬塚)父の影響で5歳のときにサッカーを始めました。そこから高校3年生までずっとサッカー漬けでしたね。
流れを説明すると、小学校のチームでは正直自分が1番上手いと思っていて自分中心でサッカーをやっていました。途中から三菱養和というチームに入団しました。そこでは上手くいかないこともありましたが、周りのレベルも高いうえに楽しくて時間の流れが早いと感じていました。
三菱養和ユースには上がれなくて、高校は静岡県の藤枝東高校にスポーツ推薦で入学しました。しかし3年間全然試合に出られなかったです。高校3年の夏に、チームが全国を決めた試合をスタンドで応援していたことが自分の人生の中で最も悔しい経験です。藤枝東では試合に出れていない3年生は夏のインターハイが終わった時点で引退することが主流で、自分もその流れで高校サッカーを引退しました。
受験勉強をしながら大学でもサッカーをしようか悩みましたが、早稲田大学に合格できたこと、サッカーにおいてのレベルについていけるかという不安、プロを目指していないのに大学4年間部活でサッカーをやる意味が自分の中で見出すことができませんでした。そこでサッカーをプレーすることから離れる決断をしました。

(高原)それでは、プレーはしなくとも何かしらの形でサッカーに携わるつもりだったのですか?

(犬塚)はい。そうですね。今までサッカーしかしてこなかったので、自分からサッカーがなくなるのが想像し難く、何かしら関わっていたいなと考えていました。

 

(高原)大学に入学して、ユニサカを知った経緯と入ったきっかけを教えてください。

(犬塚)知ったきっかけは早稲田大学ア式蹴球部のマネージャーとして仮入部をしていたときに、ユニサカメンバーのはるきくん(西川玄記)から話を聞いて知りました。もともと早慶クラシコの運営に興味を持っていたので、大学4年間何もしないより何か大きなものに関わりたいと思い、ユニサカに入ることを決めました。

 

(高原)早慶クラシコの運営、魅力的ですよね。昨年運営に関わって大変だったことはありましたか?

(犬塚)そうですね。ユニサカに入ってからというよりは早慶クラシコの1ヶ月前くらいから関わらせてもらったのですが、そのときに大変だなとは感じていました。自分はクラシコパークの食品販売担当で、おそらく他の方に比べたら仕事量とかは少なかったとは思うのですが、当時の自分はもう既にキャパオーバーでした(笑)。大さん(奥山大)とかを見ていて、あんなに規模の大きなものを色々動かせてすごいなと思うと同時に自分もそうなりたいなと思いました。

(高原)大変だった分、手応えややりがいを感じますよね。

(犬塚)はい。準備はすごく大変でした。でも当日、運営側だったので早稲田の勝利をピッチ内から見ることができたのがすごく印象に残っています。その時の爽快感が忘れられないです。勿論、試合には出ていないし、準備も1ヶ月前から関わらせてもらったくらいなのに、すごく達成感がありました。自分も成長できたというか、今までの自分のキャパを超えて仕事をこなすことができて、1つ自信になったことが結構大きいです。

 

(高原)クラシコパークを担当するきっかけは何だったのですか?

(犬塚)クラシコパークの存在は初め知らなかったのですが、メンバーの目黒(目黒雄大)や玄記くん(西川玄記)に自分は何でもいいから早慶クラシコに関わりたいと相談したときに、ちょうどクラシコパークの人手が足りていなくて手伝って欲しいと言われたのでそこに入りました。

 

(高原)今年の早慶クラシコはどうですか?クラシコパーク以外のことにチャレンジしてみたいなどの希望はありますか?

(犬塚)正直あまりイメージができていないです。でも、どうにかして来年も早慶クラシコに携わり、昨年以上の盛り上がりを創るために頑張りたいと思います。

 


(高原)話は少し変わって、現在の大学サッカーについてお聞きします。現在の大学サッカーの課題って何だと思いますか?

(犬塚)大学サッカーの課題は、あまり自分も把握できてないのが正直なところです。強いて言えるとしたら、注目度の低さですね。サッカーのレベルは高校サッカーよりも大学サッカーの方が高いはずなのに、高校サッカーより注目度があきらかに低いと思います。原因をうまく言語化して整理できていませんが、もう少し認知が広がってもいいのかなと思います。

 

(高原)そうしたら認知度を高めるという課題解決もあると思うのですが、今後大学サッカーがどのような存在になってほしいと考えていますか?

(犬塚)大学サッカーの魅力の1つとして、プレーヤー以外の人たちの活躍が顕著だということです。マネージャーや学生コーチだったり、裏方の人も含め、チームの様々な仕事を学生が主体でおこなっています。また、4年生だったら就活をしながらサッカーをして、サッカーだけをやっている集団ではないっていうのが自分の感じる大学サッカーの魅力ですね。そのようなところをもっとフォーカスして、周知されていけばいいなと思います。

(高原)そうですね。私もマネージャーとして大学サッカーに関わっているのですが、大学サッカーの多様性をとても感じます。試合の運営もそうですし、チームの広報やチームと他企業様との連絡など、高校のマネージャーとは一味違います。それが広まっていったら嬉しいですね。
話はまた変わるのですが、ユニサカを一言で表すと何ですか?

(犬塚)難しいですね。なんだろう、「自分が成長できる場」ですかね。社会人の方を見ていても、言語化とまとめ方のレベルが高いと感じます。それゆえにミーティングのレベルも明らかに普通の学生がやるようなものとは一味違うような感覚なので、そこのレベルに触れられるというのはすごく幸せです。

(高原)ミーティングのレベルが一味違うとは具体的にどのようなことですか?

(犬塚)自分のイメージで学生というようなくくりにするのは良くないのですが、何を話しているのか分からなくなる議論ってありますよね?

(高原)論点がずれたりするってことですよね。

(犬塚)はい。色々なところに話が逸れてしまい、そのミーティングのゴールの設定が曖昧でなんとなく話している感覚なのですが、ユニサカの議論はミーティングが始まる前から話の内容やゴールがしっかり決まっています。社会に出たら当たり前のことだと思うのですが、自分はそのようなものを全く経験してこなかったので、これがちゃんとした議論なのかと毎回学んでいます。

 

(高原)最後に、ユニサカを今後どのような存在にしていきたいか教えてください。

(犬塚)フィロソフィーを、「自分たちで大学サッカーを変えていく」に置いているので、自分たちでもう一度そこを深掘り、ユニサカの内輪だけではなく色々な人を巻き込んでユニサカ自体の認知を広げつつ、大学サッカーという存在を知らない人たちに大学サッカーの存在を伝えていけるような組織になれればと思います。

 

(高原)大学サッカーの大きな魅力の1つである学生の主体性や多様性がどんどん周知していってもらえるよう、犬塚さんはユニサカで私はア式のマネージャーとしてフィールドは違いますが、お互い頑張っていきましょう。
ありがとうございました。

(犬塚)ありがとうございました!

 

 

次回の記事もお楽しみにしてください。
それでは失礼します。

 

 

【次回告知】
2020.1.18(土) リリース
インタビュー:林草太郎
※来週(2020.1.11)はお休みです。

2019.12.14 活動報告
「全国スポーツ学生の集い」
「KCAA学生委員会」

 

 

12月14日に「全国スポーツ学生の集い」「KCAA学生委員会」が同志社大学で開催されました。本イベントにユニサカもお招きいただき、西川、目黒、中井の3人が参加致しました。そこでの活動を報告致します。

 

午前に開催された「全国スポーツ学生の集い」には全国から50人以上の学生が集まり、大学スポーツの課題や未来への希望について議論を深めました。また、3人のゲストをお迎えし、大学スポーツに対してどのように考えているのか、学生に求めることは何かをお話してくださりました。
普段お会いする機会がない学生ともお話をすることができ、所属する組織によって全然違う問題意識を感じているのだと知ることができました。大学スポーツの課題などを共有できたことで、今後どのようにアクションを起こしていけば良いのかを考えるきっかけにもなりました。

 

午後に開催された「KCAA学生委員会」も午前同様、多くの学生が参加していました。KCAA(一般社団法人スポーツコンソーシアムKANASAIの略称)は2018年に設立され、関西圏の23大学、15社の企業、4つのパートナー会員により構成されています。大学と競技団体・企業をつなぐプラットフォームを形態や人材育成、スポーツガバナンス、大学スポーツの価値向上などをテーマとし、大学スポーツによる関西地域の活性化を目指し、活動をしている組織です。(https://www.kcaa-jp.org)
主に5人の学生から話題提供をしていただきました。内容としては現在所属する組織においてどのような取り組みをしてきたのか、各地域においての問題意識、着目点などでした。初めて知ることができた課題もあり、とても刺激を受けた時間でした。

 

今回のイベントを通じ、大学スポーツに対して問題意識を持っている人、アクションを起こしたいと思っている人が、こんなにも多くいることに驚いたと同時に、学生の生の声を発信していく大切さを改めて感じることができました。
ここで得た学びや問題点を今後ユニサカの活動に活かし、大学スポーツ、大学サッカーを変えていきたいと思います。

 

最後にイベントの開催にあたって、ご尽力下さった学生実行委員をはじめ関係者の皆様には、感謝申し上げます。

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第4弾~

 

 

インタビュー
目黒 雄大(めぐろ ゆうだい)
所属;早稲田大学1年
生年月日:1999年12月17日
出身校:桐蔭学園

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)本日はよろしくお願いします。
まず初めに、自身のサッカー人生について教えてください。

(目黒)自分のサッカー人生を振り返って1番に思うのは、サッカーをやっていたことによってたくさんのことを学ぶことができたということです。サッカーそのものからの学びもそうですが、サッカーをやっていなければ学べていなかったなと思うことがたくさんあります。その1つをお話します。お世話になった方を挙げればキリがないですし、誰に1番お世話になったとかそんなことを言える立場にないことは重々承知ですが、あえて挙げるならば小・中学時代に出会った指導者です。引地コーチ、和馬コーチ、松田先生、冨士さん、大石さん。僕はこう見えて我が強いところがあるので、思ったことは何でもはっきりと言って時に組織にネガティブな意味での影響を与えたりすることもありました。(行き過ぎたそれは反省しています。)その時、この4人はそれを僕の個性だと受け止めて下さいました。もちろん悪い時は悪いと言ってきつく叱られたことは何度もありますが、たとえ自分(指導者)と正反対の意見を僕が言ったとしても聞く耳を持って議論の場を設けて下さりました。選手権に出れる出れないという話があった時なんかは泣きながら話をしていました(笑)。幼少期からそうした方々の元にいて、それが当たり前のことのように生きてきましたが、むしろそうでないことの方が多いです。自分と意見が違うからと、お前は偉そうだとか敬意がないと言われたりします。こうしたことを経験すればするほど、これまでの自分は本当に恵まれた環境にいたのだなと実感します。お陰で、仮に誰かとの関係の中で互いの意見と意見が対立しても、相手の意見が気に食わなくても、それはあくまでその人の”意見”であって、その人の全てを象るものではないのだと理解できるようになりました。思えば当たり前のことですが、おそらくサッカーを通してその方々と出会っていなければ自分でそう感じることはなかったのではないかと思います。

 

(高原)選手権も出場して、大学でもサッカー続けようとかは思いませんでしたか?

(目黒)思ったか思ってないかでいったら思ってなかったですね。今までずっと選手権を目指してやってきて、プロを意識したこともなかったし、実力もそこまで伴っていなかったというのもあり、高校の時から入れさせて頂いていたユニサカでやっていきたいなと思っていました。

 

(高原)どのような経緯でユニサカを知ってユニサカに入ったのですか?

(目黒)高校2年生の冬のとき、同期に連れられユニサカが関わっているイベントに行きそこで興味を持ったのがきっかけです。

(高原)参加当初はどのようなことをユニサカでやっていたんですか?

(目黒)綺麗なレールを先輩方に敷いて頂いて、早慶クラシコの高校生に向けた広報などをやっていました。

(高原)ユニサカに入って結構経ちますね。その中で今まで苦労したことなどありますか?

(目黒)自分が大学生になった今感じるのは、自分は体育会には属してないのでそこでどうしても壁を感じてしまうことです。もし自分がア式とかに入れさせてもらっていたら、どのような関係性が築けたのかを時々思ったりします。

 

(高原)今年の早慶クラシコでの自身の取り組みを教えてください。

(目黒)主にクラシコパークを担当していました。やってみて一番驚いたのは、ギリギリまでステージのことで悩んだり、資金が足りないだったり、リアルだなっていうのを感じながらやっていました。

(高原)クラシコパークをやろうと思ったきっかけなどありますか?

(目黒)最初にクラシコパークの存在を知ったのは12月にユニサカ全員で集まった時です。そこで興味を持ちました。試合自体に関して言うと、僕がそこに入らなくても選手の皆さんのプレーや迫力で、良い意味で勝手に盛り上がると思いました。なのでそれ以外のところで関われたらいいなと思っていました。また、クラシコパークは体育会生以外の人も自分の取り組んでいることを発表する場所なので、絡みたいなという思いです。

 

(高原)来年は体育会の属していない人たちもどんどん早慶クラシコに呼んで、早慶両部ではなく、両学校のイベントにしていけたらいいですね。

(目黒)そうですね。興味を持ってもらう対象は体育会など全く関係ないので、自分たちがやっていることでそこに興味を持ってもらえたら良いです。もっと言えば、ちょっとでも関わってみたいとか、そういう人たちが増えてきたらさらに規模拡大できると思います。

(高原)来年の早慶クラシコの抱負を聞かせてください。

(目黒)自分だからこそ言えるのかもしれないですけれど、部活に入っていないことで普段部活の縛りやサッカーに注ぐ時間はないわけなので、他の人たちより動かなければいけないなというのはあります。来年学年は2年ですけれど先輩に頼ってとかではなく、自分から率先してやっていきたいです。

 


(高原)早慶クラシコから話は変わり、現在の大学サッカーの課題は何だと思いますか?

(目黒)何をやっているのかあまりわからないような組織っていうのは正直ありますね。早慶クラシコの時とかずっとそう思っていて、もっとオープンにしていきたいと思いながらやっていたのですが、最近は無理に新しいファンを増やすというのは違うのかなと思うようになりました。大学サッカーが持っている魅力っていうのは中にいる人が強く感じることだと思います。それはそれで一種の内輪な話で、その中にいる人が盛り上がって、周りがそれに気づいてどんどん魅力を感じていって、それがいつかすごい大きなものになるといいなと思います。もちろん様々なアプローチは必要ですが、僕も大学サッカーに関わる皆さんが熱狂しているのを見て中に入っていった一人なので、そういう人が増えていったら嬉しいですね。

(高原)大学サッカーを今後どのような存在にしていきたいですか?

(目黒)サッカーなのでプレーももちろん大切ですけれど、サッカー以外のことも大切にできる環境も大切だと思います。例えば、学業も一生懸命やっているとか、課外活動に取り組んでいるとか、そのような見本となるべき選手が沢山います。それをちゃんと汲み取れるような体制を整え、発信して伝えていければいいなと思います。

 

(高原)では、ユニサカを今後どのような存在にしていきたいですか?

(目黒)最近、外部の団体の方々と会ったりしてユニサカの知名度の凄さを実感しています。ただ、自分としては周りが思ってくれている程のことはできていないと強く感じます。まずは「自分たちが大学サッカーを変えていく」というフィロソフィーを体現できるようなコンテンツをどんどん増やして、それを先導していくような団体にしていきたいなと思っています。

 

(高原)最後に、ユニサカを一言で言うと何ですか?

(目黒)ファミリーです。高校生の時から感じていました。年齢の違いなどあるものの、互いに意見を言い合えることは当たり前ではないと強く思います。自分の意見と、人間性っていうのは切り離して考えられて、意見が対立したとしてもその人全部を否定するものではないととても感じますね。

 

(高原)ありがとうございました。

(目黒)ありがとうございました!

 

 

【次回告知】
2020.1.4(土)リリース
インタビュー:犬塚天蓮

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第3弾~

 

 

インタビュー
中井 里衣子(なかい りえこ)
所属:慶應義塾大学ソッカー部女子2年
生年月日:1999年4月6日
出身校:作陽高校

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)よろしくお願いします。

(中井)よろしくお願いします!

 

(高原)まずは自身のサッカー人生について、始めたキッカケと今までどのようなチームでどのような思いで活動してきたか教えてください。

(中井)小学校1年生の時に兄の影響でサッカーを始めました。小学校低学年の頃は男の子たちと一緒にサッカーをしていました。年を重ねて小学校4年生の時に、女子チームの助っ人として全国大会に出場しました。そのチームで全国大会優勝という結果を出しました。そして、そのままその女子チームに入ることを決断しました。
中学生では、日テレベレーザの下部組織で女子サッカーの普及を目的にして作られた日テレメニーナセリアスというチームの1期生としてサッカーを続けることになりました。中学3年生の時に再び全国優勝を経験しました。
しかし、試合にコンスタントに出場することができず、高校で再挑戦するために岡山県の作陽高校にサッカー留学しました。そこでは慣れない寮生活を経験し、それは過酷で非常に大変な日々でした。しかし結果的に全国準優勝したことで全てが報われた感じがしました。
大学は、兄が慶應義塾大学のソッカー部に所属していたこともあって、ずっと慶應義塾大学ソッカー部に憧れを持っていました。そして受験に合格し、兄を追う形で入ることができました。

 

(高原)大学に入学し、ユニサカに入るキッカケは何でしたか?

(中井)大学に入る前から私自身学生スポーツに課題意識を持っていました。大学でもどうにか自分でアクションを起こせないかなと思っていた時に、ユニサカを紹介してもらい入ることを決めました。

 

(高原)学生スポーツへの課題意識の具体的内容や、課題意識を持ったキッカケを教えてください。

(中井)中学校はクラブチーム、高校は地方高校部活を経験して環境の差を感じました。高校サッカー独自の問題かは分かりませんが、一面フルコートを取れないグラウンドとか、土のグラウンドとか、他にもニュースで体罰の問題もあったり、そういった課題は日本特有だと思いました。
キッカケは、高校2年生の時にアメリカに短期留学したことですね。そこで日本とアメリカの違いを感じました。アメリカ人は自己肯定感があって自信を持ってプレーをしている一方で、日本人は何かに萎縮してしまっている傾向があると思いました。それは先程述べた取り巻く環境に課題があるのではないかと思っていました。

 

(高原)ユニサカに入って苦労したことや、大変なことありましたか?

(中井)それは、実際的な早慶クラシコの運営です。とても苦しく大変だったなと今でも思います。(笑)
でもユニサカは大学サッカーを変えたいという志を持つ人たちの集まりなので、とても刺激を受けて良い経験になりました。

 

(高原)今年の早慶クラシコでは具体的にどのようなことを取り組んでいたのですか?

(中井)私自身は、クラシコパークの運営と集客面で関わらせてもらいました。

 

(高原)それぞれの具体的な活動を教えていただけますか?

(中井)クラシコパークでは、「飲食店が少ない」という声を去年の早慶クラシコでお客さんから頂いたので、学生が運営するキッチンカーを呼びました。サッカー部だけではない様々な領域で活躍する早慶の学生を巻き込むことを意識しました。
集客では、どうやったら多くの人に早慶クラシコの魅力を感じてもらえるかを考え、校内や街中でのアプローチの仕方を例年とは異なる形でチャレンジしました。

 

(高原)集客では、校内でのアプローチについて言及していましたが、具体的にどのような工夫をしましたか?

(中井)慶應義塾大学で、7月は早慶クラシコだというのを一般の学生たちにも根付かせたいというか、文化を作っていきたいと考えました。その結果、代表理事の奥山さん(代表理事:奥山大)と試行錯誤して大学内の柱や購買や食堂を早慶クラシコ一色にジャックするというアクションを起こしました。

 

(高原)それはすごいですね。来年は早稲田でもやりたいです。(笑)
それではクラシコパークや集客をやろうと思ったきっかけは何ですか?

(中井)大学サッカーの魅力を伝えるために集客という立場に立ってアプローチの仕方を学びたいと思ったので、集客を担当することを決めました。クラシコパークも集客という軸にあると思っていて、サッカーだけを楽しむだけではなく、他のコンテンツでも早慶クラシコを楽しんでもらいたいという思いからクラシコパークに関わらせて頂きました。

 

(高原)早慶クラシコについての質問は最後になりますが、来年の早慶クラシコではどのようなことをやりたいですか?

(中井)来年はオリンピックイヤーでもありますし、スポーツに興味を持ってくれる方が例年に比べて多くいると思います。今までにないエンターテイメント性を追求して、今年おこなった学校ジャックのような、新たなことに取り組んでいきたいと思っています。


(高原)ここまでは中井さんが自分の取り巻く環境に課題を感じ、ユニサカに加入し、早慶クラシコの運営に携わるまでを知ることができました。
さて話題を広げて、中井さんが考える現在の大学サッカーの課題を教えてください。

(中井)早慶クラシコには沢山のお客さんが来場して下さいます。しかし、普段のリーグ戦などは保護者やOBの方々がメインになってしまいます。定期戦では多くの人が来るけれど、その流れが続かないことが現状で、課題を感じます。
女子サッカーに関してはそもそも知名度が低いですね。なかなか日の目を浴びる機会がないので、私は女子サッカーならではの魅力をどうにかして伝えていきたいと思っています。

 

(高原)ご自身が当事者である女子サッカーにも特有の課題があるようですが、大学の女子サッカーを今後どのような存在にしていきたいですか?

(中井)どの部活に関しても、男子部が目立ってしまう傾向があります。もっと女子部が積極的に広報や集客に重心を置いて、大学に入ってでも本気で部活に取り組んでいるという姿勢を見せていきたいなと思います。

 

(高原)ユニサカは今後どのような存在にしていきたいと考えていますか?

(中井)ユニサカは現在、早慶両校を中心として動いている団体です。しかし、私たちが考えることを全国の学生と共有して一緒に考えることで、ユニサカが大学サッカーのトップを走るような団体にしていきたいですね。

 

(高原)最後に、ユニサカは中井さんにとってどのような存在か教えてください。

(中井)「私を変えてくれた場所」です。ユニサカに入って様々な人と話しました。ユニサカに入らなかったら出会えなかった人もいます。その人たちと様々な話をしていく中で、様々な価値観だったり考え方だったりを知ることができました。沢山刺激を受けたことで、昔だと持てなかった自分なりの考え方を持つようになりました。そういう意味で、ユニサカは私を変えてくれましたね。(笑)

 

(高原)沢山の人と触れ合うことで今までの自分にない価値観が生まれたりするのってすごく素敵なことですよね。私もこのインタビューを通して色んな人の考え方に触れていくのがすごく楽しみです。
ありがとうございました。

(中井)ありがとうございました!

 

 

【次回告知】
2019.12.28(土)リリース
インタビュー:目黒雄大

『ユニサカメンバーインタビュー企画』
~第2弾~

 

インタビュー
奥山 大(おくやま まさる)
所属:慶應義塾大学体育会ソッカー部4年
生年月日:1997年4月29日
出身校:八戸高校

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

 

 

(高原)本日はよろしくお願いします。

(奥山)よろしくお願いします!

 

(高原)まず初めに、自身のサッカー人生について振り返っていただけますか。

(奥山)小学生のときにサッカーを始めました。
中学生の頃まではずっとプロサッカー選手を夢見て頑張っていましたが、自分の中学校やトレセンで一緒にやっていたメンバーが日本一になった時に、自分はその人たちに敵わないし、その人たちの中でもプロになることができるのは一握りだと思い、プロの道は厳しいなと感じました。
高校は地元の進学校に進み、サッカーをやっていましたが、ケガをしてしまい大学でサッカーを続けることが難しいと分かったので、そこで大学ではマネージャーになるという選択をしました。マネージャーとして活動していく中でそうたろうさん(前副代表理事:林草太郎)やなつくん(創設者・前代表理事:渡辺夏彦)、はらけいさん(前代表理事:原田圭)に出会い、ユニサカに関わるようになりました。

 

(高原)高校での怪我が大学でマネージャーになるという決断の1つの要因とのことでしたが、高校でケガをしたときに、サッカーから離れるという選択肢はありませんでしたか?

(奥山)高校の頃は文武両道を大切にしてきたので、自分からサッカーをなくすことが怖くて離れることができませんでした。大学でサッカーと関わるか迷い考えた結果、慶應義塾大学は様々な分野で頑張っている人が在籍していて、自分も何かで頑張りたいと思えたのでサッカーに戻ってきました。

 

(高原)大学で慶應義塾大学ソッカー部に入って、林草太郎さんと渡辺夏彦さんに出会ったことがユニサカに入る上で一番大きかったですか?

(奥山)そうですね。慶應のマネ部屋や合宿所で、そうたろうさんやなつくんや当時のマネージャーの方を近くで見てきました。そこでユニサカという会社を立ち上げることになった時、
近くで見ていたからこそもっと自分にできることはあるのではないか
という一種の責任感みたいなものもありました。そこに頑張る先輩たちの姿が重なったことがユニサカに関わるようになったきっかけですね。

 

(高原)ユニサカの輪の中に入り、実際的にユニサカとして始動するにあたって苦労したことなどありますか?

(奥山)活動初期にある会社に営業に行ったのですが、そのときに企画書を担当者の方に見てもらえずに帰ることになりました。これまでサッカーしかしてこなかったから、企画書の作り方とか、営業ってどうすればいいんだろうとか、名刺持ってない!とか…色々な不安もありながら一生懸命作ったのですが上手くいきませんでしたね。
「君たちは、企画書を作ったりする前にまずはもっと大事にしなければならないものがある」
と言われました。そのときに色々なアドバイスを頂いて、結果的に企画書を見せる前段階で足踏みしていることに気づきました。そのときに、これまで自分が一生懸命頑張ってきたサッカーとピッチ外の活動が結びつかず、そこの転換が最初はとても苦労しました。

 

(高原)とても苦しい経験をしていますね。そのような苦労もありながらどうしてここまで続けてこられたのですか?

(奥山)早慶戦みたいな大きな舞台を運営したり、ユニサカの先輩がスポーツ庁のイベントに参加するみたいな、大きなことにチャレンジするということもカッコイイと思います。
しかし、それ以上にしんどい物事とか難しいこと、それに対して反対されることがあっても尚大事にしたいと思えることがあるっていう考えが素敵だなと思っています。自分の好きなことだけやろうっていうのが当時の自分にとっての逃げだったので、苦しいことがあっても尚好きと言えるものがあるってすごくかっこいいと思っていましたし、自分もそういう風になりたいなって思えるようになったので、そこで諦めずに頑張ろうって思えました。

 

(高原)自分に正直になって、苦しくても「大切にしたい」「好き」だと胸を張って言えることは、やはり大切ですよね。
それでは奥山さんのユニサカでの現在の取り組みを教えてください。

(奥山)もう自分がユニサカ現役メンバーとして活動することに区切りをつけて、はるき(西川玄記)中心の現役メンバーにバトンを託しました。これまで自分が積み上げてきたものの中で、求められているものと自分が大事にしているものが交差する点を探しながら、次の代に還元していこうと日々考えています。また、自分自身まだ学生であるので自分の中でチャレンジできる場所を模索しています。

 


(高原)ユニサカや早慶両部ではなく少し話題を変えて、大学サッカー全体に目を向けたときの現在の課題を教えてください。

(奥山)閉鎖性ですね。その問題は複雑化していて、お金や競技力や権利の問題など当然沢山あります。しかし、様々な物事が良い方向に進んで行くスピードがゆっくりすぎることは、やはり閉鎖性が原因だと思います。中の人が悪いわけではないです。一生懸命やっているはずなのに壁があるのは、どうしても内部が見えにくかったりすることや、動こうとしてもお金がないというように、根本にある閉鎖性をどうにかしていかないといけないですね。

 

(高原)閉鎖性をなくしていくことも踏まえ、大学サッカーを今後どのような存在にしていきたいですか?

(奥山)大学の基盤にしたいです。Jだったら地域だし、プロ野球だったら会社だし、大学は人間関係だったりするものが基盤にあると思います。もっともっとスポーツを通じて、これまで関わることのなかった人とかが自身の大学のアイデンティティみたいなものを感じられる接点を増やしていくことが大切だと思います。少しずつでも段階的に解決していって閉鎖性をなくすうえで1つのポイントとなればいいなと思います。スポーツの力を通じて問題解決していくような社会的視点があればいいのかと考えています。

 

(高原)今年は述べて頂いた課題などに向き合って多くのアクションを起こしてきたと思います。
正直に言って、現役学生としてやり残したことはありませんか?

(奥山)やり残したことは…沢山ありますが、(笑)
1つあげるとしたら『失敗を恐れない姿勢』が少し欠けていたのかなと感じますね。
当然ユニサカという組織を背負っているし、これまでの人生で積み上げてきたものもあるし、今の人間関係もあるのですが、そういう人が求めているものって成果とかではなく「チャレンジ」する力だなと思いました。何をするかは重要ではなく、「チャレンジ」する姿勢がもっとあればよかったなと思います。

 

(高原)ユニサカをずばり一言で表すと?

(奥山)”原点”ですね。自分も含めてユニサカにいる人は今後、社会に旅たって行くことになります。その時に、ここで得た経験を思い出し、ここで出会った仲間と何か挑戦するみたいな将来の自分を支える立ち返るべき1つの原点的場所であってほしいです。そうするためには目の前の成果にとらわれることなく、一生懸命自分の決めた道を走り続ける強さが大事だと思います。

 

(高原)最後に、ユニサカ現役メンバーに一言お願いします。

(奥山)現役メンバーに伝えたいことは、応援される存在であってほしいということです。理不尽なことに、何か改革を起こそうとしても正しさだけでは動かない部分もあります。明確に各個人が1人の人間として応援されることが大事だと思います。それがあれば何でも上手く機能していくのではないですかね。

 

(高原)ありがとうございました。今後の活躍にも期待しています。

(奥山)ありがとうございました!

 

次回の記事もお楽しみにしてください。
それでは失礼します。

 

【次回告知】
2019.12.21(土)リリース
インタビュー:中井里衣子

『ユニサカメンバーインタビュー企画』~第1弾~

 

インタビュー
西川 玄記(にしかわ はるき)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年1月19日
出身校:金沢桜丘高校

 

インタビュアー
高原 歩希(たかはら ほまれ)
所属:早稲田大学ア式蹴球部2年
生年月日:1999年10月19日
出身校:早稲田大学本庄高等学院

<インタビュアー高原コメント>
今回インタビュアーを務めさせて頂きます早稲田大学ア式蹴球部2年マネージャーの高原歩希と申します。
ア式蹴球部の同期でありユニサカメンバーの西川玄記からユニサカでのインタビュアーを募集していると話を聞き、何か新しいことに挑戦してみたかったこと、部外の人と関わり様々な話・考え方を直接聞き、今後の自分の何か糧になればと思い、機会を頂きました。
私自身、毎年行われる早慶サッカー定期戦を通してユニサカとの関わりは多少ありますが、詳しいことは知らなかったので今回のインタビューを通してユニサカの活動を深く知り、様々な価値観に触れ合いながらユニサカについて発信できたらと思います。
そしてこの記事が多くの人々に見てもらい少しでも興味を持って頂けるよう頑張りますので宜しくお願いします。

 

 

(高原)本日はよろしくお願いします。

(西川)よろしくお願いします!

 

(高原)まずは西川さんのサッカー人生について教えてください。

(西川)サッカーを始めたきっかけは父の影響です。サッカーを始めるまでは、水泳をやっていました。でも熱が入らなくて隣の小学校にあったサッカーチームに小学校3年生の時に入団しました。
サッカーを始めたらすごく楽しくて、小学校高学年時に選抜チームにも選ばれたりして順調に上手くなっていく自分自身にも、周りからの評価もすごく嬉しかったです。
中学生になって部活では物足りず、石川県内の街クラブに入団しました。北信越地域の中では力のあるチームでした。このチームへの入団で人生初の挫折を味わい、それまでの「サッカーで生きていきたい」という考え方が変わりました。中学校1年2年時は試合に出させてもらっていたのですが、周りも上手くなり中学校3年の春から夏までの頃はベンチになることが多かったです。最終的にはスタメンで出場できましたが、その当時から自分自身の限界を感じるようになりました。サッカーだけやっていてもこの先どうなるのかなという漠然とした不安を感じましたね。
高校では金沢市の進学校と呼ばれる金沢桜丘高校に進学しました。部活もそれなりに強く、全国大会に出るためにサッカーに打ち込みました。1年生の時から試合に出場させていただき、充実した3年間を送ることができました。結局、全国大会には出場することは叶いませんでしたが、高校では何より文武両道を掲げてどちらかに偏ることはせずに勉強とサッカー両方全力でトライしました。当時の頑張れた経験と共に切磋琢磨した最高の仲間は、今の自分において立ち返るべき非常に大切な場所になっているのかなと思います。

 

(高原)現在は早稲田大学ア式蹴球部で活動する傍らユニサカでも活躍していますよね。ユニサカに入るまでの経緯を教えてください。

(西川)それは早慶戦がきっかけでしかないです。早稲田大学ア式蹴球部(以下:ア式)の一員としてユニサカや早慶両部に対して自分が早慶戦で何ができるか考えアプローチした結果、ユニサカの輪の中に入ることができました。

 

(高原)具体的にユニサカでの主な個人の活動を教えてください。

(西川)今年度の第70回早慶サッカー定期戦で言うと、新たに電子チケット(Quick Ticket)を導入して学生スポーツの可能性を追い求めました。あとは、開催にかかる費用を集めるためにマサルさん(ユニサカ代表理事:奥山大)と資料作成から訪問までおこないました。正直、これが結構身体的にも精神的にもきつかったですね。(笑)
新規事業を立ち上げようとしたのですが、負荷もあり、人手も足りずで、組織として回らなくなるので早慶戦だけになってしまったという事実があります。それは自分の力不足なので後悔と反省をしていますね。

(高原)ではこれから何かやっていくのですか?

(西川)やります。今練っています。期待していてください。(笑)

(高原)楽しみですね。(笑)

 

(高原)また、学生のうちに早慶戦を学生として運営するチャンスがまだありますが、どのようなことをやっていきたいですか?

(西川)来年度はユニサカの学生リーダーになります。ユニサカとしても、ア式の一員としても、誰もが経験したことのないようなスタジアムの熱狂を創り出したいですね。関わる全ての人が主体的に自分の個性を出せるようなハコにしたいとも思っています。その学生が個性を発揮することは、学生主体の理想像にもつながっていくと思います。動員数で言うと2万人以上が目標です。そして早慶戦後には、学生からスポーツに対する意識や考え方を少しずつ変えていければいいなと思っています。

(高原)具体的にどのようなイメージですか?

(西川)簡単に言うと、サッカーをハブに様々な交流を生み出すイメージです。具体的には試合当日、スタジアムでの試合を中心にアートとかダンスとか音楽とかがコラボすることで、業界と人の交流が生まれて、また新しい何かが生まれるキッカケになればいいなと思っています。もちろんサッカーの試合が中心で重要ですけど、サッカーの枠に留まらない挑戦にも価値があると思いますね。

 

(高原)ここまでで、サッカー人生とユニサカとしての活動を聞くことができました。では話題を変えて、大学サッカーにフォーカスした質問させてください。ずばり大学サッカーの課題は何だと思いますか?

(西川)部外との壁だと思います。

(高原)なぜそのように考えましたか?

(西川)大学サッカーは何をどうしようと大学生が当事者として成り立っていることは変えられない事実です。何を言いたいかというと、体育会生は体育会に所属していても一人の大学生だという前提条件があるということです。それにも関わらず体育会は体育会という風にまとまって外部と積極的に関わろうとしないケースが多いと思います。外部と関わることで、これまでの自分では気づけなかったことに気づいたり、感じることのできなかった感覚を手に入れることができると思います。それは自分自身の可能性を広げる意味でも、人脈を広げる意味でも重要なものだといえると思います。おそらくその積み重ねが、将来自分の歩いていく道を豊かにして、かつ多くの選択肢を生む1つの手段になると思います。大学だからこそ、そういったこれまで関わってこなかった人が身近にいて関わるチャンスがあると思います。それを十分に活用できていないのはもったいない!と思いますね。

 

(高原)最後に、今後ユニサカはどのような組織になっていくか教えてください。

(西川)逆に、周りから見ているとユニサカってどのような組織か分からないですよね?

(高原)そうですね。結構未知の世界といった感じです。

(西川)内部のことやどのような人間がどういった活動をしているのか等を深く知られていないのが現状です。でもそれって結構問題だと思います。だから、もっとクリーンに、どのような活動をしているのか明確に情報発信して、かつユニサカが大学サッカーを変えていくために主体的にアクションを起こすことが必要だと思います。ユニサカのフィロソフィーは、「自分たちが大学サッカーを変えていく」です。このフィロソフィーを軸に学生の強みを生かしたアクションを起こして、大学サッカーといえばユニサカだよね!となりたいですね。

(高原)今回のブログ記事でもユニサカのメンバー1人1人にフォーカスをし、発信していくのでこれも1つのきっかけになればいいですね。

(西川)そうですね。

(高原)ありがとうございました。

(西川)ありがとうございました!

 

次回の記事もお楽しみにしてください。それでは失礼します。

【次回告知】
2019.12.14(土) リリース
インタビュー:奥山大