Humberger

日大アメフト部 反則タックル問題につきまして

2018/5/29

一般社団法人ユニサカ代表理事の原田圭です。

日大アメフト部の一連の問題に対して非常に憤りを感じ、深い悲しみを感じています。この問題はセンセーショナルなニュースとして、様々な分野、立場から多くの方がコメントしていますが、現役の体育会部員、学生の意見が余りも少ないと感じ、この度久しぶりに投稿させて頂きます。

宮川選手の会見、一昨日の内田元監督による会見を拝見させて頂きました。
宮川選手が会見で仰っていた、やる気がない、闘志が足りないから練習を外される、日本代表に行くな、というようなペナルティを課される、などは誤解を恐れずに言えば、日本中の多くの部活に当てはまる事なのではないかと思います。

日本の部活は4年または3年間で監督が交代するケースは少なく、卒業するまで同じ監督、コーチのもと学生生活を送る事が殆どです。そして監督、コーチも大抵は課外活動のボランティアとして指導しているので、監督、コーチが指導してくれているのは普通じゃない。感謝しなくてはならない。という考え方が部員には浸透しています。本質的に言えば、学校が部活動を正式なプログラムとして認め、きちんと対価を支払わなくてはいけないので、部活動そのものの構造が変わって行く必要があるのですが、日本ではどうしてもそのような議論は起こらず、問題が小さくまとまってしまっています。

そして、このような動きが放置され続け、何年も監督の座に居座り続けると、次第に部活動が誰のものかという認識が曖昧になり、部のガバナンスは消え去り、気付けば監督に権力が集中し、部活の帳簿まで握ってしまう、というケースがあります。このように日本の部活の多くは監督が非常に強い権力を持ち、監督の価値観が強く部に反映され、それが脈絡と受け継がれて行きます。これは良いケースももちろんありますが、監督の考え方(すなわち部の方針)にそぐわない選手は異端扱いされ、そのまま卒業まで棒に振ってしまうケースもあります。このように圧倒的に監督に権力が集中したコミュニティでは、根拠に乏しい、監督による”やる気がない”、”気合いが足りない”といったロジックが平気で通用してしまうのです。これが日本の部活の現状です。

つまり、今回起きた事件は決して日大アメフト部だけではなく、日本の他の部活でも起きる可能性があった、または、過去に起きていても表面化していなかった問題だということです。SNSが普及した現在だからこそ、危険なタックルの映像が拡散され、認知されたのではないかと思います。ですが、だからと言ってこの一件が許される、重みがなくなるかと言えば全くそうではありません。何故あのような異常な反則行為をするまでに選手が追い詰められてしまったのか。コーチの指示を断る事が出来なかったのか。

体育会でスポーツをする多くの部員にとって、スポーツとは戦いです。それは日本の体育会に限らず、全世界的に見ても選手にとってスポーツとは戦いであり、お互いがギリギリのところまで魂をぶつけ合い、徹底的に勝利にこだわります。相手に怯んでしまえば、勝利を掴む事はできませんので、選手たちは試合前になれば自分を奮い立たせ、監督やコーチが発破をかけることが普通です。特にラグビーやアメリカンフットボールのようなコンタクトスポーツは異常なテンションで試合に臨んでいるのではないかと思います。しかし、勝利によって自分達が得られる価値、自分達が社会に与えられる価値とは何かを追求できているチームはどれだけあるでしょうか。

日本の部活 (体育会)の多くはスポーツが一人称、または相手を含めた二人称で終わっています。これはユニサカが観客動員を増やしていこうと努める理由の一つでもありますが、普段から応援されていない事に慣れきってしまえば、必然的にスポーツの価値は個人、チームに留まるようになり、社会との繋がりを無視した勝利至上主義に走ってしまいます。大学スポーツのステークホルダーは数多くいると有識者の大人達は議論しますが、そのことを理解している部活はどれくらいあるのでしょうか。普段の試合では学内の生徒はほとんど応援に来ず、地域住民の方も来ません。来ても保護者や数名のOBだけ。そのような状況が続き、更には練習場や合宿所で学生生活のほとんどを過ごしていれば次第に部活動以外のコミュニティとは関わりがなくなり、更なる悪循環に陥ります。

体育会生は信じられないほど閉鎖的なコミュニティで学生生活を送っています。そのコミュニティには特殊な序列があり、世の中では信じられない常識、ルールが存在しています。そして、そのコミュニティの異常さにはほとんどの部員は気が付きません。外のコミュニティとの繋がりがほとんど無く、部活に存在する特殊なルールが、守り抜かれてきた伝統として刷り込まれて行くからです。部活の監督、コーチ、スタッフも部のOBで構成されるケースが多く、外部から違う価値観を持った人が入って来ることは殆ど存在しないので、誰もその異常さに気付かず、伝統として受け継がれていきます。

自分たちが活動する意義、つまり試合で勝利する意義とは何か、きちんと部員に説明できている指導者がどれだけいるか。先輩達が繋いできた伝統(舞台)を後輩に残すために勝て、といった事はどの部活でも勝利の意義として言われることです。しかし、本当にそうでしょうか?OBを喜ばせるために私たちは部活をやっているのでしょうか。このようにスポーツの価値を一つのコミュニティに留めてしまえば、勝利よりも大事なものが見えなくなってしまいます。

日大アメフト部の宮川選手のタックルに関して言えば、宮川選手は井上元コーチから”潰せ”という指示があったと話されています。ここでも誤解を恐れず言えば、スポーツにおいて”潰せ”という指示は普通にあることです。僕だって練習中に味方にそのような指示はします。しかし、それは怪我をさせろと、いう意味ではありません。”潰せ”と”怪我をさせろ”に明確な線引きがあることはスポーツをやったことがある人なら絶対にわかるはずです。”潰せ”というフレーズに過剰に反応している方々には賛同しかねます。そこにはスポーツをやっている人間にとって明確な線引きがあるのです。ですが、日大アメフト部の問題について言えば、試合前日までメンバー外だった選手に対して”相手のクオーターバックを潰せば試合に出さしてやる”と声を掛ければそれはつまり、”相手のクオーターバックを怪我させろ”という意味であると捉えるのは自然な事だと思います。これがコミュニケーションミスというのは余りにも無理がありますし、コミュニケーションの問題に置き換える事は非常に無責任であると感じます。内田元監督、井上元コーチは一連の問題の責任を取らずに逃げ続け、選手を守りませんでした。とても悲しいことです。

先に述べたように選手の奮起を促すために選手を追い込む事はその方法の良し悪しはさておき、日本の部活動ではよくある事です。日大アメフト部のOBの方々の中にはそのような指導があったお陰で力を出せた、成長できた、と考えていらっしゃる方もいるのではないかと思います。しかし、内田元監督の対応を見れば、そのような指導は選手のためでは無かったのだと、全てはチーム、監督としての功績のためだったのだと思ってしまいます。そして、その4年間の学生生活はもう返ってきません。余りにも残酷過ぎます。また、現在同じように選手を追い込んでいる指導者は果たして自分のために考えてくれているのか、チームの勝利のための駒の一つとして機能するために自分を追い込んでいるのか、内田元監督の対応を見て、自分の指導者に重ね合わせた学生もいるのではないかと思います。果たして、問題が起きた時に指導者はあなたを守ってくれるでしょうか。そして、もし、助けが必要なときにあなたは、誰を頼ればいいのか、誰に訴えればいいのかわかりますか。選手の立場が非常に弱い日本の部活動において、これらの疑問が放置され続けて来たことは、非常に残念でありますし、日本版NCAAの議論においてもきちんと話し合われるべきでした。学生として会議に参加していた1人として大きな責任を感じます。

日大アメフト部における一連の問題で許されるべき事は一つもありませんが、日本の部活動にはあのような事件を生む土壌が存在するのが事実です。

あなたが所属する部活動は外部のコミュニティとの接触を制限していませんか?

伝統的な価値観を受け入れることを強制されていませんか?そして、それを拒めば何が起こりますか?

伝統を当然の事だと思って受け入れていませんか?そこに思考は伴っていますか?

なぜ、試合で戦うのか、勝利の先に何の価値があるのか、共有されていますか?

過去ではなく、未来を見据えたアクションを起こせていますか?

変化しなくてはならない時が来ています。それには思考すること、判断することが伴います。
思考しましょう。そして仲間と議論しましょう。そして議論を外のコミュニティに広げましょう。
一生に一度の学生生活をより良いものにするために。

2018.5/25 一般社団法人ユニサカ 代表理事 原田圭